寒さに襲われた。はっとして、手を引くと、心を落ちつけようと、努力しながら、四方を見廻した。
 床の間には重豪の編輯《へんしゅう》した「成形図説」の入った大きい木の函があったし、洋式鉄砲、香炉、掛物の万国地図。それから、棚には呼遠筒が、薄く光っていた。
 誰かを呼びたい、ような気もしたが、自分の気の迷いで、人を呼ぶのも恥かしかったから、心切《しんき》りを持ち直して、燭台を見ると、前よりも薄暗いようであった。蝋燭の灯が、妙に黄ばんでいて、蔀屋の中が、乳白色の、霧のようなもので、満たされているようであった。
(和子《わこ》は――)
 と、寛之助を見ると、よく眠入っているし、その愛らしい睫毛さえ、はっきりと判ったから、安心して、部屋の異状を、見定めようとすると、その乳白色の空気が、薄暗い屏風の背後へ、流れ込むように動いていた。
 七瀬は、蒼白になって、息をつめて、膝を握りながら、自分の恐怖心にまけまいと、それを、じっと眺めていると、霧の固まりが屏風の背後で、ぐるぐる廻り出したように見えた。そして、屏風が、はっきりと眼に見えていながら、屏風の後方が、屏風を透して見えているように思えた。
(夢かし
前へ 次へ
全1039ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング