手ではおよばぬ――」
「なら、天命だ」
左源太は、それ以上、斉彬に云えなかったから、英姫に
「よもやとは思いまするが、例《ためし》のあること。油断せぬに、しくはござりませぬ。典医、侍女の方は、某《それがし》が、見張りますから、夜詰の人に、政岡如き女を――」
と、すすめて、そして、七瀬が、選まれることになったのであった。病間夜詰と、きまった時、仙波八郎太は
「寛之助様は御世継ぎじゃで、もしものことが、おありなされたら、ここの敷居を跨げると思うな」
と、云い渡した。小身者の仙波として、七瀬が首尾よく勤めたなら、出世の緒《いとぐち》をつかんだことになるし、他人に代った験《しるし》が無かったなら、面目として、女房を、そのままには捨て置けなかった。
「心して、勤めまする」
と、答えて来たが、夜の詰をして、三日目の今夜は、いつになく、気が滅入って、何うしたのか、怯け心が出て来た。
灯が、暗いようなので、心《しん》を切ろうと、じっと、灯を見つめながら、手を延そうとすると、部屋中が、急に薄暗くなって、天井が、壁が、畳が、襖が、四方上下から、自分を包みに来るように感じた。
七瀬は、脚下から
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