、何んという臆病な――)
 と、自分を励ましたが――そう思う次の瞬間に、後方《うしろ》の襖の中から、鬼のような、化物のような奴が、こっちを見ているような気がした。
 左右の次の間には、典医と、侍女と、宿直《とのい》の人々とがいたが、物音も、話声もしなかった。
 寛之助の母の英姫は、寛之助が安眠したのと、斉彬が未だ起きているので、その部屋の方へ行った。英姫が、去ると、蘭法医の寺島宗英も、漢法医の延樹方庵も、控えの間に退ってしまった。そして、徹夜をして詰めていた侍女が、更代に出て、近侍も、七瀬に頼んで休憩に下るし――それらの人々は、次の間か、遠くないところにいるにちがいないのだが、物音一つしない静かさで、七瀬一人が灯影のゆらぐ下に坐っていた。
 長男の菊三郎は、生れて一ヶ月日に死んだので、誰も気がつかなかったが、澄姫と、邦姫の二人は、三歳と、四歳になって、原因不明の病で死んだから、人々の記憶には、十分残っていた。
 この二人の死ぬ前の症状と、寛之助の近ごろとが、よく似ているのであった。時々、熱を出して、よく怯えて――この十日程前から眠入っていても、出し抜けに泣いたり、眼の中いっぱいに、恐怖
前へ 次へ
全1039ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング