向いて
「近々に、牧に逢ったかの」
「一向に――」
「噂をきかぬか」
「ただ、江戸へ参られました、と、それだけより存じません」
牧仲太郎とは、玄白斎の後継者で、牧に職を譲って、玄白斎は、隠居をしているのであった。
「もしか、牧が――」
玄白斎が、呟いた。
「牧どんが?」
「いいや――」
玄白斎は、首を振って
「今日のことは、和田、極秘じゃ」
街道へ出てからも、玄白斎は、考えながら歩いているらしく、いつものように、左を見、右を見しなかった。和田は、大抵の雨にも、雪にも、薬草採りをやめない老師が、急に帰るのを考えると、何か、大変なことが起っているように感じられた。
(牧より外に、あの秘法を行う人間はない筈だ――牧の仕業としたなら――何んのために――誰《たれ》を――)
玄白斎は、険路も、汗も感じないで、考えつづけた。
(もし、自分の考えが、当っていたとしたなら――島津家の興廃にかかわる――)
玄白斎の考えは、次のようなことであった。
当主|斉興《なりおき》の祖父、島津重豪は、英傑にちがいなかった。彼は、シーボルトが来ると、第一に訪問した。それから、大崎村に薬園を作ったし、演武
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