、凄い、怪しい力と、光に輝いていた。灰土色に変るべき肌は、澄んだ蒼白色になって、病的な、智力を示しているようであったし、眉と眉との間に刻んだ深い立皺は、思慮と、判断と――頬骨は、決心と、果断とを――その乱れた髪は、諸天への祈願に、幾度か、逆立ったもののように薄気味悪くさえ、感じられるものだった。
骨立った手で、駕を掴みながら、よろめき出たのを見ると、玄白斎は、憎さよりも、不憫《ふびん》さが、胸を圧した。
(よく、こんなになるまでやった。お前ならこそ、ここまで、一心籠めてやれるのだ)
唯一人の、優れた愛弟子に対して、玄白斎は、暫くの間
(死んではいけないぞ。お前が、死んでは、この秘法を継ぐものがない)
と、思って、痛ましい姿を、ただ、じっと眺めていた。
牧は、俯向いて、よろよろとしながら、腰掛のところまで行くと、左右へ
「よろしい」
と、低く、やさしくいった。
「大丈夫でござりますか」
牧は頷いた。そして、腰掛へ、両手をついて、玄白斎に叩頭をした。
「御心痛の程――」
これだけいうと、苦しそうに、肩で、大きい呼吸をした。
「某――今度のこと――先ず以て、先生に、談合申し上げん所存にはござりましたが――さる方より――火急に、火急に、との仰せ、心ならずも、そのまま打立ちましたる儀、深く御詫び申しまする」
牧は、丁寧に、頭を下げた。
「ちと、聞いたことがあってのう」
玄白斎は、やさしくいって、髯を撫でた。
「はい、何んなりとも」
「奥へ参らぬか」
飽津が
「牧殿、ちと、御急ぎゆえ――」
「手間はとらせぬ」
「いや、然し――」
牧が、頭を上げて
「斎木、奥まで、頼む」
腰掛に手をついて、立上ると、よろめいた。貴島が
「危い」
と、呟いて、支えた。
「おお、和田も、高木も――」
牧は、奥の部屋の中の二人を、ちらっと見ると、すぐ微笑して声をかけた。二人は、一寸、狼狽して、軽く、頭を下げた。
「御苦労をかけた」
斎木と、貴島が、牧を案じて、部屋に近い上り口に待っているのへ、こういって、手を振って、あっちへ行けと、命じた。そして、膝へ手を当てて、大儀そうに坐った。暫く、四人は、そのままで黙っていたが
「烏帽子で、護摩壇の跡を見た」
と、玄白斎が、口を切った。牧は頷いた。
「お前の外に、あれを、心得ておる者はない」
牧は、又頷いた。
「そうか?」
「はい」
「猟師を斬ったな」
牧は、静かに、低く
「斬りませぬ」
「犬は?」
「犬は、斬りました」
「猟師は、誰が殺した?」
「余人でござりますが――然しながら――お叱りは、某が受けまする」
玄白斎は、又、暫く黙っていた。牧の、素直さに、鋭く突っ込みたくなくなってきた。
「聞くが、牧、鈞召金剛炉の型のある以上、人命の呪咀だのう」
「はっ」
「誰を、呪咀した?」
牧は、はじめて眼を上げた。澄んだ、聡明な、決心と、正しさと、力と、光との溢れた眼であった。
「御幼君、寛之助様で、ござります」
牧のそういった言葉には、少しの暗さも、少しのやましさも無いのみか、自信と、力とさえ入っていた。玄白斎は、自分の想像していたように、斉彬を呪っているのではなかったので、軽く、失望したが
「御幼君をな」
と、いって、すぐ
「前の、お姫《ひい》、お二人は?」
「存じませぬ」
「しかと」
「天地に誓文《せいもん》して」
「御幼君のこと――誰が、申しつけたぞ」
「そのことは、兵道家として――よし、師弟の間柄とは雖《いえど》も、明かすことは――」
「よし、わかった。その言はよい。然らば、聞くが、御幼君と雖も、主は主でないか。そもそも、兵道の極秘は、義の大小によって行うものではない。斉彬公が、又、御幼君が、よし、御当家のため邪魔であるにしても、これを除けよと命ぜられたる時には、兵道家はただ一つ――採るべき道はただ一つ、一死を以て、これを諫め、容れられずんば、腹を裂く。義の大小ではない。仮令、いかなることたりとも、不義に与《くみ》せぬを以て、吾等の道と心得ておる。このことは、よく、説いた筈じゃ。牧」
高木と、和田とは、刀を引寄せながら、黙って、俯向いていた。牧は、眼を閉じたまま、身動きもしなかった。玄白斎は、すぐ、言葉をつづけた。
高木と、和田とは、何う、牧が答えるか、じっと――身体中を引締めていた。表の人々は、一人残らず、こっちを眺めていた。山内は、上り口で、いつでも、駈け上れる用意をしていた。
「斉彬公を――いや、斉彬公を調伏せんにしても、所詮は、久光殿を、お世継にしようとする大方の肚であろう。藩論より考えると、これが大勢じゃ。然し、よし、これが大勢にしても、寛之助様を、お失い申すことは、不義に相違ない。余人は知らず、兵道家としては、久光殿と、寛之助様とを、秤にかけて、一方がやや軽
前へ
次へ
全260ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング