んだろう」
「判るかえ」
「それんくらいのこと判らねえで、何うする」
「そうかえ」
庄吉は、笑いながら、薄い涙を、眼瞼へ出していた。
「お前が死ぬのが早いか、俺が早いか、江戸も、黒船のために、煙になるって、評判じゃあねえか」
「そうだってのう、じゃあ、もらって行くぜ」
「達者で、行きな」
「牧の野郎の、便りを頼むぜ」
「いいとも――」
庄吉が、歩きかけると
「道中で、ひょんな気を起しなさんな」
と、吉が、又注意した。
「心配しなさんな」
「お嬢さんにもな」
と、吉が、笑った。
「戯談《じょうだん》、云うねえ」
庄吉が、振向いて、笑うと同時に
「あばよ」
と、吉松が云って、足早に、歩いて行ってしまった。庄吉は、その後姿へ、一寸、振向いて
(有難う)
と、心の中で叫んだ。そして、懐中の金の重さを計ってみて
(七八十両はある)
と、思うと同時に、小走りに、走り出した。
(路銀は十分だ。深雪さんっ――着物を売るにゃあ当らねえ。若い娘が、着物を売るなんて――他人のことでも、庄吉は、見ておれない性なんだ)
庄吉は、笑いながら、走った。
寄席の、軒下に
[#ここから3字下げ]
一世一代此の世の名残り、桃牛舎南玉、長講二席相勤候
[#ここで字下げ終わり]
と、天地紅の、びらが、貼ってあった。中へ入ると、汚い敷物の上に、七八人の客が坐っていた。
「大分、騒いでおりますな」
と、木枕をいじりながら、隠居らしい人が、隣りの男へ、声をかけた。
「本当にねえ、芝を逃げ出すくらいなら、芝で生れねえのがいいや」
軒下で、怒鳴っている寄席の若い衆が
「いらっしゃいっ」
と、声をかけると、暖簾《のれん》を、頭で分けて、一人が
「おうおう、集まって来てやがるぜ、おけら共が――」
「よう、禿亀《はげかめ》、相変らず、のんびりしているな」
「うむ、今夜は、南玉と二人っきりだろうと思ったら――」
と、云った時、又
「いらっしゃい」
と、呼ぶ声がした。
「来るぜ。胆の据ったのが、うようよといるらしいのう」
「何をっ。手前のは、胆が、からっきし無えから、怖くねえんだろう。お前んとこの長屋の奴は、青梅に逃げたってね」
「うむ、えらく、腹がへった」
一人は、そういって、帳場を振向いて
「売子の娘は居ねえのう」
「危えからって、青梅へ行ったのだろう」
「今朝っからの騒ぎで、お前、商売は出来ねえし、こんな時だ、一つ、品川の女郎屋へ行ってやれ。女郎は、何っかへ、皆逃げっちめえやがっただろう。大広間で、一つ、一人で暴れてこまそと、八つ山まで行くと、抜身の槍だ。成る程、物騒だ、と、木戸を抜けて、入口へかかると、お前、でんでん、太鼓を叩いて遊んでやがらあ。嬉しくなっちまった。江戸っ子だねえ。臍の曲ってるところが、おもしろいじゃねえか。黒船が来るっていうのに、お前、わざわざ品川へ行って、遊んでいるなんざ、これ、人間業じゃあねえぜ」
「ここへ来ている奴等も、一寸、変ってるのう」
「俺は、お前、嬶《かかあ》に、こんな晩、妾を見すてて、寄席へ行くなら離縁してもらいましょう、と、いわれてね。ぽかんと、撲って、走って来たが――南玉の野郎、一世一代、この世の別れとは、何んだろう」
「長い馴染だから、実は、俺も嬶に叱られながら、やって来たが、おかしな奴だからのう」
町内で、顔馴染の人々が、二三十人にもなってきた。茶を飲んだり、臥たり、話をしたり――そのうちに、一人が、手を叩いた。二三人が、つづいて叩いた。客は、時々、未だ入って来て、お互に、挨拶しながら、世間の騒ぎと、江戸っ子だということと、南玉を助けてやろうということとを、又話した。
南玉が、狭い板廊下の向うから、俯向いて、湯呑をもって笑いながら、足早に出て来た。そして御叩頭《おじぎ》をしてから、高座へ上った。人々が、一斉に、拍手した。一人が
「師匠、首でも、縊《くく》るのかい? この世の名残って――」
南玉は、湯を呑みながら、御叩頭をして
「ただ今、その訳を――」
そうして、湯呑を置いて、張扇で、ぽんと一つ、見台を叩いて
「さて、かようの晩の御入来、一方ならぬ御贔屓のせいと、ひたすらに、専《もっぱ》ら、感涙に咽び泣いております――ええ、そもそも、南玉、一世一代、これが見納め、聞き納め、笑い納めの、泣き納め、たんだ、納まらないのは、胸の内――」
ぽんと、自分の胸を叩いた。
「そも、過ぎつ年、逝《ゆ》きし頃――この前、黒船の参りました時、憶えもござりましょうが、三田は、薩摩の御邸で、夜を徹しての、能狂言、謡の声も、晴れ晴れと、鼓の音も、ぽんぽんと、それで、すっかり、附近の町家は、落ちつきまして、御門の前へ、朝になると、大きな膏薬、はがしてみると、その下に、天下の大出来物、と、書いてあったと、この時の、大出来
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