らぬことを察している弟子達は、牧のすることに不安を感じながら、見守っていると
「今日の修法は一人でよい」
と、静かにいった。そして、弟子達が立上るのに眼もくれず、戒刀を抜いて、左手に持った。そして、膝の前に、微かに、瞬いている燈へ、段木をつきつけて、火が燃え上ると、火炉の中に積み重ねてある木の下へ、差し込んだ。
煙は、部屋の天井を這い廻っていた。異臭は、襖の外まで洩れていた。部屋の中は、薄暗くて、むせっぽかった。
牧仲太郎の眼は、狂人の眼であった。何かを、宙に凝視めていたが、その一点を、じっと、睨んだまま、またたきもしなかった。その眼は、人間の眼でなく、悪魔のように、光った凄さを帯びていた。
火炉の灰を塗りつけた額には、冷たい汗が、滲んでいたし、はだけた胸には、滴って流れていた。脣も、手も、膝も、がくがく顫えていて、時々、身体を浮かしては、立上りそうになった。
右手の戒刀を、引っつかんで、時々、振上げかけては、脣を噛んで、膝の上へ当てたり、左手の画像を、抛げつけかけては、顫える手で引込めた。
牧は、その凝視めているところに現出している、見えぬ敵と争っているのであった。飛びかかるように身体を突き出すかと思うと、打挫《うちくじ》かれたように、胸を、臂を引いて、その度に歯を剥き出した。
「否、否っ」
大声で、次の間まで響く声で、叱咤すると、いきなり立った。そして、戒刀を振上げると、すぐ、崩れるように坐った。肩で呼吸をして、全身を顫わして
「邪中の正気、見られいっ」
と、叫ぶと、火炉の中へ、堕ちかからんばかりに身体を延して、戒刀を突き出した。そして、顔を横に振りながら
「否、否、垂迹《すいじゃく》和光の月明らかに――」
と、絶叫して、戒刀で上を指した。
「終末に及んで、分段同居の闇を照らす、これ、邪中の正」
こう叫ぶと、身体を引いて
「十方充満の諸天、赦させ給え」
そう叫んだ刹那、牧は
「南無、明王」
人間の声とも思えぬ絶叫であった。部屋の中へ、爆弾の如く炸裂したかと思うと、左手に握っていた忿怒明王の画像を、火炉の中へ抛げつけた。
画像は、炎々と燃え上っている段木の焔の上へ、落ちかかると、一煽り煽られた。そして、焔の上へ何者かの手で立たせられたように、さっと、突っ立った。火焔の明りに、照らし出された明王は、牧を睨んでいるようでもあるし、牧の祈願を聞き入れたようでもあった。その一刹那
「ええいっ」
牧の手の戒刀が、画像へ閃くと、明王の頭から、真二つに切れて、倒れ落ちると共に、その裾から、燃え上ってしまった。
「成就」
牧は、人間らしい眼に戻って、画像の焼けるのを眺めていたが、片手で礼拝した。そして、燃えつくしたのを見終ると、戒刀の尖で、親指の甲を切った。血が、噴き出してきた。牧は、それを、画像の灰の上へ、そそぎかけた。
戒刀を下へ置いて、火炉の灰を疵口へつけて、三度、黙祷した。そして、立上ろうと、壇へ手をついたが、腰を浮かすと、よろめいた。首を垂れて、暫く、右手をついたまま、じっとしていたが、静かに、上げて来た眼に、微かに涙が光っていた。
加治木玄白斎は、疲労と、風邪と、その熱とで、白い中に埋まって、臥っていた。静かな寝息、暗い行燈、何んの物音もしない部屋、部屋。その中で、急に、手を蒲団の外へ突き出すと、鋭い眼付をして
「市助」
そう叫んだ瞬間、よろめきつつ、起き上っていた。
「はっ」
「用意っ」
市助は、次の間から襖を開けて、膝をついて、蒲団の上で、危い足つきをしながら、帯をしめ直している玄白斎を見上げて
「修法の?」
「者共を、起せっ」
「はいっ」
市助が、走って出た。玄白斎は、咳き入りながら、市助の開けておいた部屋へ入って、行燈の微かな明りだけの中を、手さぐりに、火炉の上へ登った。
廊下に、けたたましい足音がして、三人の門人が入って来た。
「修法を――今から」
「牧を、折伏《しゃくぶく》致す。早く致せ」
火炉の中の、焚木は、いつも用意されてあった。和田仁十郎が、祭壇へ黙祷して、その前に供えてある木切をとって、燧石から火をつけると、すぐ、火炉の乳木へ移した。
玄白斎は、片手を、炉べりへついたまま、首垂《うなだ》れて、肩で呼吸をしていたが
「戒刀を――」
と、微かに云った。市助が、片隅の暗いところから、金具の光るのを持って来て、差出した。
「和田、高木、よく見ておけ」
玄白斎は、静かに、こう云うと、燃え上って来た火焔に、脂肪《あぶら》気の無い顔をさらしたが、すぐ眼を伏せて
「和田、高木」
「はっ」
「わしは、死ぬかもしれぬ」
二人は、返事をしなかった。
「牧が、修法を致しておる」
「又、致されておりますか」
「わしを――呪殺しようと」
「先生を?――」
「旺《さか》んな気力じゃ。
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