して、二人になったかと思うと、右手の山蔭へ消えてしまった。
「居るのう」
「半町――」
 と、いった途端
「待てっ――待てっ」
 遠くで、人影も見せずに、こう叫びながら――然し、すぐ足音が、寂寞を破って、乱れ近づいた。小太郎も、八郎太も、羽織を笹の上へ棄てた。足場を計った。二人で対手をはさみ討てるように、左右に分れて、径に向い合った。すぐ曲り角から、四人の姿が、現れて、一人が、こっちを見ると
「何故、登った、降りろ」
 と、叫んだ。四人とも、襷がけで、支度をしていた。小太郎は刳形へ、手をかけて、親指で、鯉口を切った。
「これは、なかなか、手配りがついておる。前だけでなく、左右、後方へも、気を配らんといかんぞ」
 と、八郎太が、注意した。

「斬れっ」
 一人が、すぐ刀を抜いた。
「待て待て」
 四十余りの、紬《つむぎ》の袷に、茶の袴をはいたのが、人々を止めて、前へ出た。そして、二人を左右に見て
「この下に、見張の者が、二人、居ったであろうがな。それを、何んとした?」
 八郎太が
「さあ――何んとしたかのう」
 三人が
「斬れっ」
「面倒じゃっ」
 と、叫んで、八郎太と、小太郎とに迫って来た。
「そうか――目といい、支度といい、二人を斬捨てて来たに相違ない。人を殺した以上、己も殺されるということは承知であろう。御山を汚した以上、御山の罰を受けるということも承知であろう――」
「天童、貴公の説法は、了えんでいかん――さあ、参れ」
 一人が、八郎太へ、正眼につけた。一人が、それを援けて、右側から、下段で迫って来た。
「小冠者っ」
 天童は、刳形へ手をかけて、ずっと、鞘ぐるみ刀を――丁度、柄頭が、自分の眼の高さに行くまでに延した。古流居合の手で、所謂鞘の中に勝つ、抜かせて勝つ、という技巧であった。こっちは飽くまで抜かずに居て、対手の抜いて来るのを待っていて勝つという方法であった。
 天童を助けて、一人が、上段に攻めて来た。二人とも小太郎を侮って、一挙に討とうとする型であった。小太郎は、腰を落したまま、動きも無く、音も無く、声も無く、影の如く構えていた。それは真剣の場数を踏んできた賜物で、その冷静さは、天童の傲《おご》った心を脅かすに十分であった。
(侮れない)
 と、天童が感じた瞬間、天童は、固くなった。怯け心が少し、疑いの心が少し――最も、剣客の忌む、そうした心が起って来た。
「やあ」
「おおっ」
 八郎太の方に、誘いの懸声が起った。それに引込まれたように
「やあ」
 と、上段に構えて、じりっと、進んだ時、小太郎は圧されたように一足引いた。上段の刀尖が、手が、ぴくぴく動くと、次の瞬間
「ええいっ」
 見事、小太郎の誘いに乗って、大きく一足踏み出すと、きらっと、白く円弧を描いて、打ち込む――その光った弧線が、半分閃くか、閃かぬかに
「とうっ」
 肚の中まで、突き刺すような、鋭い気合、閃く水の影の如く、一条の白光、下から宙へ閃くと――刀と、片手が、血潮の飛沫と共に、宙に躍った。
「ええっ」
 その刹那、天童の手から、迸《ほとばし》り出た刃光一閃、小太郎の脇へ、入るか、入らぬか、八郎太が
「危いっ」
 と、絶叫した時、天童は、たたっ、とよろめくと、刀を杖にして踏み止まったし、小太郎は、熊笹の中へ転がって、天童の胸へ刀をつけていた。

 小太郎は、鹿が跳躍するように、跳ね起きた。そして、刀を構えて
「如何っ」
 と、叫んだ。天童は、右手に突いた刀へかけている手を、刀ぐるみぶるぶる震わせていたが
「無念」
 呟くように言葉を抛《な》げつけて、小太郎を睨むと――膝をついてしまった。そして、左手を、土の上へついて、大きい息を、肩でしながら
「今――今、一合せ」
 そういって、刀を地へ置いて、用意していた血止め、繃帯を、懐から取出した。そして、静かに、顫える手で、膝を探って行くと、べとべととした血潮、開いた創口《きずぐち》――眼を閉じて、指を――全身へ響く痛みを耐えて、創口へ入れて行くと、骨へ触れた。尖った骨であった。
(骨を断たれた)
 天童は、その瞬間、蒼白になって俯向いてしまった。暖かい血が、指の周囲から、外へ流れ出るのを感じた。眼暈《めまい》がして来た。小太郎への無念さが、身体中いっぱいになって来た。天童は、手早く、太腿を縛った。そして、小太郎の立っているところを見ると、小太郎は、もう其処にはいなかった。
「ああ」
 断末魔の叫びが聞えた。天童が、その方へ眼をやると、小半町も逃げのびた浪人の一人が、崖のところへ、小太郎に追いつめられて、右手で刀を突き出したまま、左手で、顔を覆って、斬られるがままに斬られていた。
「卑怯者」
 と、いう小太郎の微かな叫び声が、聞えてきた。
「ああっ――あーっ」
 首をちぢめて、手を顔へ当てて、崖に凭れたまま無
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