太刀でも助けようとしていたが、何うすることもできなかった。
「引けっ、刀を引けっ――山内っ、斎木っ」
新納は、若者の中へ、馬を乗り入れて来た。若者は、家老の位置に対し、無抵抗でいなければならなかった。
「兵頭っ、刀を引け――引かぬかっ」
「はっ」
兵頭が、こう答えた刹那、新納が
「山内っ」
と、叫ぶのが早いか、山内の打込んだのが早いか――兵頭は
「おおっ」
さっと、引くと、新納の馬へ、どんと、ぶっつかった。よろめきながら、閃いた刀を、反射的に受けて
「何をっ」
「山内っ、おのれっ、たわけ者がっ」
新納が、山内の前へ、馬をすすめた。馬は怖じて、頸を上げながら、二三尺、山内の方へ胸を突き出して、脚踏みした。
「卑怯者っ、それでも、剣客かっ」
一人が、兵頭の後方から、山内へ怒鳴った。
「引け、引揚げいっ」
人々の後方にいた二人の馬上の士が、近くの若者へ、頭を振って、引揚げろといった。
「斎木、早く行け、牧は行ったか」
「御無事に」
新納は頷いて
「池上、兵頭、戻れ」
「由利が殺されました」
兵頭が、馬の横から、蒼白な顔で、見上げた。
「何処に」
「谷へ、斬落されました」
「誰に?」
「山内に――」
「総て、戻ってから聞こう。戻れ、皆戻れっ――何を、愚図愚図する。戻らぬと、おのれら、厳重に処分するぞ」
「池上――おお、無事か、新納様――」
「お前は?」
「加治木玄白の門人、和田仁十郎と申しまする」
「加勢か」
「いいや、師の仰せにて、押えに参りましたが、無事の体《てい》にて――」
「そうか、わかった。玄白に、新納が静めたと申しておけ、御苦労。池上、兵頭、拙者と同道せい」
「はい」
新納は馬を廻した。
「同志の名は、明かすまいぞ」
「うん」
と、いった時、板戸が、埃と一緒に軋《きし》って開いた。
「池上――出ろ」
池上は、声に応じて立上って、ずかずかと、その侍の方へ歩み寄った。薄暗い廊下に、もう二人の侍が立っていた。
「ついて参れ」
廊下の突当り、中戸を突きあげると、履脱《くつぬぎ》に、庭下駄と、草履《ぞうり》とが並んでいた。人々が、庭下駄を履いたので、池上がその上へ足を下ろすと
「草履だ」
と、背を突いた。
「何?」
池上は、振返って、睨みつけた。
「草履を履くのだ」
「いえばわかる。何故、背中を突いた」
「黙って、早く行け」
「行かん。俺は、罪人でないぞ。軽輩だと、お主《のし》達は侮る気か」
先に、庭へ降りていた一人が、
「ここで争っては困る。殿が、待っておられるで。池上」
「よろしい」
池上は、赤い顔をして、眼を光らせて、植込みの中を、曲って行った。広縁のところへ来ると、一人が、縁側へ手をついて
「召連れました」
と、いった。二人は、池上と共に、庭へうずくまっていた。暫くして、障子があいた。新納六郎左衛門が、小姓と、近侍とを従えて坐っていた。
「それへ上げろ」
新納は、縁側を、扇で指した。
「御意だ。すすむがよい」
池上の後方の士が、囁いた。池上は、一礼して立上って、履脱から、縁側へ平然として上って行った。新納は、その一挙、一動をじっと、見ていたが、池上が坐って、礼をしてしまうと
「七八人、人数がおったのう」
「はい」
「誰と、誰と――」
「忘れました」
新納の眼に、怒りが光った。池上は、その眼を、少しも恐れないで、正面から、じっと凝視めていた。
「なぜ――思い出さぬか?」
「出しません」
池上は、言下に、明瞭《はっきり》と、答えた。
「よし、それでは、思い出させてやろう。釘をもて――粉河《こがわ》、その方共、そいつの手足を押えい」
四人の近侍が立上った。池上は、微笑した。だが、顔色は少し蒼白《あおざ》めてきた。一人が、池上の右手をとって、上へ引いて、膝頭を片脚で蹴りながら
「打つ伏せになれ」
と、いった。池上は、その男を下から睨み上げて
「打つ伏せ? 薩摩隼人は、背を見せんものじゃ。馬鹿め」
怒鳴ると、右手を振り切って、仰向けに、大の字に、手足を延した。四人が、一人ずつ手と足を押えつけた。
「釘を、持参仕りました」
「親指を責めてみい――池上、ちいっと、痛むぞ」
一人が、押えている池上の掌を、板の上へ伏せて、親指の爪の生え際へ、釘のさきを当てた。そして、少しずつ力を加えながら、爪におしつけた。
爪は、暫く、赤色になっていたが、すぐ、紫色に変った。池上の顔は、真赤に染まって、米噛《こめかみ》の脈が破裂しそうにふくれ上って来た。額に、あぶら汗が滲み出て来て、苦しい、大きい息が、喘ぐように、呻くように、鼻から洩れかけた。脚が微かにふるえて、一人の力では押え切れぬくらいの力で動こうとした。足の指は、皆|内部《うちら》へ曲って、苦痛をこらえていた。眉も、眼も、脣も、頬も、苦しそうに
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