ゃ」
「お互でござろう」
「何?」
「好んで、争いを求めませぬ。牧殿に、何故、御世子を調伏したか? その返答を、お聞き下されい」
「戻れ、戻れっ」
 若者の背後の人々が
「問答|無益《むやく》」
 と、叫んだ。
「奸賊」
「斬れっ」
「斬れっ」
 若い人々は、お互に、興奮しながら、他人を押し除けて前へ出ようとした。
「山内を存じておるか」
 山内が、崖の端へ立って、若者へ笑いかけた。
「お手前など対手でない。引込め」
「牧に尻っぽを振って、ついて参れ」
 山内は、さっと赤くなった。刳形《くりがた》へ手をかけて、つかつかと、前へ出ると、若者達は、二三歩退いた。
「恐ろしいか」
 山内は、真赤な顔をして、睨みつけた。その瞬間、背の低い一人の若者が、水に閃く影の如く、人々の袖の間を摺り抜けて出て
「ええいっ」
 懸声と同時に、ちゃりんと、刃の合った音がした。人々は、胃をかたくして、柄を握りしめた。

 人々が、額を蒼白くして、腋の下に汗を出して、刃の音のした方を見た。
 小柄な青年は、狂人のように眼を剥き出して、山内を睨んでいた。山内は、脣に微笑を浮べて、正眼に刀をつけていた。青年は、だんだん肩で呼吸をするようになった。青年の背後から、一人が、何かいいながら、青年の横へ出ようとした。その瞬間だ――
「ええいっ」
 それは、声でなく、凄じい音だった。谷へも、山へも木魂《こだま》して響き渡った。青年は、その声と一緒に、身体も、刀も、叩きつけるように――それは、手負の猛獣が、対手を牙にかけようと、熱塊の如く、ぶっつかって行くのと同じであった。
 人々の見ている前で、自分から斬込んでおいて、よし、山内が、何んな豪の者にもせよ、一太刀も斬らずに、引きさがることは、面目として出来なかった。自分の命を捨てる代り、いくらかでもいいから、対手を斬ろうとする絶望的な、そして、全力的な攻撃であった。
「おおっ」
 山内は、強く、短く、唸った。二つの刀が、白く、きらっと人々の眼に閃いた瞬間、血が、三四尺も、ポンプから噴出する水のような勢いで、真直ぐに奔騰した。そして、雨のように砕けて降りかかった。
 山内は、血を避けると同時に、次の敵のために刀を構えて、一間余りの後方に立っていた。真赤な顔であった。青年は、血を噴出させて、黒い影を、人々にちらっと示したまま――谷へ落ちたのであろう、何処にも姿が無くなった。
 敵も、味方も、暫く黙っていた。山内が、右手に刀を持って、左手を柄から放した。そして、後方へ小声で
「布は無いか」
「傷したか」
「指を二本、落された」
「おお、どの指を――」
 山内が、右手片手で、刀を構えて、指を後方へ示した時
「山内、見事だ。おれが、対手になる」
「見た面だのう」
 若者は、答えないで、刃尖《きっさき》を地の方へつけて、十分の距離を開けた。薩摩独自の剣法、瀬戸口備前守が発明したと伝えられる示現流(一名、自顕流、自源流。自源という僧、天狗より伝わったものという)特異の構えである。
 馬蹄の音が、向う山に響いて、青年の背後へ近づいて来た。二三人が、振向くと、三人の士が、馬を走らせて来ていた。
「邪魔の入らぬうち――」
 と、一人が叫んだ。
「斎木殿、御対手申す」
 最先にいた若者が、刀を抜いた。それと同時に、若者も、牧の人々も、一斉に、鞘を払った。
「兵頭はおらんか、兵頭っ」
 遠くから、馬上の人が叫んだ。その刹那
「何がっ、兵頭っ」
 山内が、受けると見せて避け、対手の身体の崩れるのを、片手薙ぎと[#「片手薙ぎと」は底本では「片手雉ぎと」]構えていたのへ、兵頭は、こう叫ぶと、雷の如く、打込んで行った。避ける暇は無かった。がちっと受けた。しっかと柄を握ってはいたが、指を二本無くした掌であった。びーんと、掌から腕へ響いて、左手が柄から離れた。刀が下った。兵頭の刃尖が、山内の頭へ、浅いが割りつけた。

 腕で斬るのでなく、身体ぐるみで斬りかかった刀だった。山内の頭から、額へ、眉の上へ、赤黒く血が滴って来た。
「池上っ――池上はおらぬか」
 と、馬上の人の叫ぶ声が、近づいた。
「新納《にいろ》殿だ」
 二三人が、呟いた。
「ええいっ、ええいっ」
 兵頭は、刀を真直ぐに右手の頭上へ構えて、山内の眼を睨みつけた。お互に、それは、物を見る眼でなく、人間の全精力を放射する穴のようなものだった。凄惨な、殺気とでも名づけるような異常な光が、放たれていた。
「来いっ――さ、来いっ」
 こう答えて、又暫く、二人は、黙って睨み合った。
 斎木も、同じように、黙って、正眼に構えたままであった。刀と刀との間が、未だ二三尺も離れてゐた。それが、かちっと、触れて、音立てた時には、どっちかが、傷つくか、殺されるかの時だった。敵も、味方も、狭い道の背後から、隙があれば、一
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