はい」
「猟師を斬ったな」
 牧は、静かに、低く
「斬りませぬ」
「犬は?」
「犬は、斬りました」
「猟師は、誰が殺した?」
「余人でござりますが――然しながら――お叱りは、某が受けまする」
 玄白斎は、又、暫く黙っていた。牧の、素直さに、鋭く突っ込みたくなくなってきた。
「聞くが、牧、鈞召金剛炉の型のある以上、人命の呪咀だのう」
「はっ」
「誰を、呪咀した?」
 牧は、はじめて眼を上げた。澄んだ、聡明な、決心と、正しさと、力と、光との溢れた眼であった。
「御幼君、寛之助様で、ござります」
 牧のそういった言葉には、少しの暗さも、少しのやましさも無いのみか、自信と、力とさえ入っていた。玄白斎は、自分の想像していたように、斉彬を呪っているのではなかったので、軽く、失望したが
「御幼君をな」
 と、いって、すぐ
「前の、お姫《ひい》、お二人は?」
「存じませぬ」
「しかと」
「天地に誓文《せいもん》して」
「御幼君のこと――誰が、申しつけたぞ」
「そのことは、兵道家として――よし、師弟の間柄とは雖《いえど》も、明かすことは――」
「よし、わかった。その言はよい。然らば、聞くが、御幼君と雖も、主は主でないか。そもそも、兵道の極秘は、義の大小によって行うものではない。斉彬公が、又、御幼君が、よし、御当家のため邪魔であるにしても、これを除けよと命ぜられたる時には、兵道家はただ一つ――採るべき道はただ一つ、一死を以て、これを諫め、容れられずんば、腹を裂く。義の大小ではない。仮令、いかなることたりとも、不義に与《くみ》せぬを以て、吾等の道と心得ておる。このことは、よく、説いた筈じゃ。牧」
 高木と、和田とは、刀を引寄せながら、黙って、俯向いていた。牧は、眼を閉じたまま、身動きもしなかった。玄白斎は、すぐ、言葉をつづけた。

 高木と、和田とは、何う、牧が答えるか、じっと――身体中を引締めていた。表の人々は、一人残らず、こっちを眺めていた。山内は、上り口で、いつでも、駈け上れる用意をしていた。
「斉彬公を――いや、斉彬公を調伏せんにしても、所詮は、久光殿を、お世継にしようとする大方の肚であろう。藩論より考えると、これが大勢じゃ。然し、よし、これが大勢にしても、寛之助様を、お失い申すことは、不義に相違ない。余人は知らず、兵道家としては、久光殿と、寛之助様とを、秤にかけて、一方がやや軽
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