、七瀬の顔を、じっと眺めた。
「五臓の疲れじゃ。埓《らち》もない」
八郎太は呟いた。
「何うした事が?」
「幻のような人影が、和子様へ飛びかかろうとして、それが現れると、和子様はお泣き立てになりましたが、それが、どうも、牧様に――ただ齢が、五つ、六つもふけて見えましたが――」
益満は、うなずいた。小太郎は、益満の眼を凝視していた。その小太郎の眼へ、益満は
(そうだろうがな)
と、語った。
「聞き及びますと――」
益満は、膝の上に両手を張って、肩を怒らせながら、八郎太から七瀬を見廻して
「当家秘伝の調伏法にて、人命を縮める節は、その行者、修法者は一人につき、二年ずつ己の命をちぢめると、聞いております。その幻が、牧仲太郎殿に似て、四十ぐらいとあれば――牧殿は――」
益満が指を繰った。八郎太が
「牧殿は、七八であろう」
益満は、腕を組んで俯向いていたが
「牧殿は、お由羅風情の女に、動かされる仁ではござるまい――小父上」
「うむ」
「さすれば――」
そういって、益満は、黙ってしまった。一座の人も俯向いたり、膝を見たりして、黙っていた。
「斉興公が」
小太郎が、当主の名を口へ出すと共に、八郎太が
「小太っ」
と、睨みつけて、叱った。益満は、うなずいた。
「濫《みだ》りに、口にすべき御名ではない。慎め」
「はい」
「次に、調所笑左衛門――これが、右の腕でござろう。そして、牧は、調笑に惚れ込んで、己の倅を大阪の邸にあずけておるが、国許は知らず、江戸の重役、その他、重な人々は、恐らく、斉彬公を喜んではおりますまい――のう、小父上」
「そう」
「悉く、斉彬公のなさる事へ反対らしい。第一に、軽輩を御引立てになるのが、気に入らぬ。この間も、御目通りをして、『三兵答古知幾《さんぺいとうこちき》』を拝借して退って来ると、御座敷番の貴島太郎兵衛が、何を持っているか――突きつけてやると、又、重豪公の二の舞を、何故、貴公達諫めんかと、こうじゃ」
「斉彬公を外国方にしようとする幕府の方針を、彼奴らは、木曾川治水で、金を費わされたのと同じに見ている、調所さえ、そうじゃものなあ」
小太郎は、顔を、心もち赤くして、静かにいった。
「とうとうとうと、御陣原へ出まして、小手をかざして眺めますと、いやあ――押しも寄せたり、寄せも、押したり、よせと云っても、押してくる武蔵鐙に、白手綱、その勢
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