左手を、小太郎の頬へ叩きつけようとした時、何かが、胸へ当ってよろめいた。踏み止まろうと、手を振って、足へ力を入れた刹那、足へ、大きい、強い力が、ぶっつかって――青空が、広々と見えると、背中を、大地へぶちつけていた。手首の痛みが、全身へ響いて、庄吉は、歯をくいしばって、暫く、動こうにも、動けなかった。
(取乱しちゃ、笑われる)
 ちらちらと、富士春の顔が、閃いた。
「野郎っ――殺せっ」
 そうとでも、怒鳴るより外に、仕方がなかった。足で、思いきり蹴った。起き上ろうとすると、手首が刺すように痛んだ。
「殺せっ」
 庄吉は、首を振った。小太郎の後姿が、三四間先に見えた。
「待てっ」
 左手をついて、起き上ろうとして、尻餅をついたが、すぐ、飛び起きて
「やいっ」
 走り出した。背中も、髻《もとどり》も、土埃にまみれて、顔色が蒼白に変り、脣が紫色で、眼が凄く、血走っていた。小太郎が、振向いて
「用か」
 庄吉は、小太郎の三四尺前で、睨みつけたまま、立止まった。
「元の通りにしろっ。手前なんぞに、なめられて、このまま引込めるけえ。元通りにするか、殺すか、このままじゃあ、動かさねえんだ――おいっ、折るなら、首根っ子の骨を折ってくれ」
 庄吉は、じりじり近づいた。手首がやけつくように、痛んだ。
(早く手当すりゃ、癒らぬこともあるまい)
 と、思ったりしたが、意地として、後へ引けなかった。印籠一つと、かけ代えに、商売道具を台なしにされたと思うと、怨みと、怒りとで、いっぱいになってきた。
「返事をしろ、返事をっ」
 小太郎は、黙って、歩き出した。かっとなった庄吉は
「うぬっ」
 小太郎の髻を、左手で、引っ掴もうと、躍りかかった刹那、小太郎の体が沈んだ。延びた左手を引かれて腰を蹴られると、たたっとのめり出ると、膝をついてしまった。

「大変だ――若旦那」
 表に立って、庄吉の仕事振りを見ようとしていた若い者が、叫んだ。
「何うした?」
「やり損って――あっ、突き倒されたっ」
 二三人が、跣足《はだし》のまま、土間へ飛び降りて、往来へ出た。往来の人が、皆、庄吉の方を眺めていた。
「喧嘩だっ」
「やられやがった」
 口々に叫ぶと、走り出した。残っていた若者と一緒に、小藤次が、往来へ出ると、庄吉が、起き上ろうとしているところであった。侍は、早足に、歩いて行っていた。
「生《なま》なっ」
 小藤
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