笑したように、こういうと
「何?」
「えらい、厳しいってんだよ」
「出ろっ。ここを、何んと心得ておる。お部屋様、近親の者と思えばこそ、咎め立ても致ざずにおれば、えらい、厳しいとは、何事でござる。それが、御部屋様の兄上の言葉か?」
 低いが、鋭く、叱りつけた。
(誰奴《どいつ》だろう? えらそうに――)
 と思ったが
(上女中の、うるさいのにでも云いつけられたら――)
 と――だが、そう叱られて、黙って引込むのも、器量の悪い話であった――。
(もう、すぐに、深雪が、出て来るのに)
 と、思うと、それも心配になって来た。
「そりゃ、存じてはいるが――」
「存じて居て、何故、禁を犯された」
「禁?」
「禁を御存じないか」
「禁って、何事でござる」
「奥へ、男子入るべからずの禁じゃ」
「ああ、その禁か」
「出られい」
 と、いうと同時に、肩を掴んで、柴折戸の方へ捻じ向けられた。
(何んて力だろう)
 小藤次は、その力に、気圧されて、一足歩いた。
「二度と、踏み入ると、許しませぬぞ」
 小藤次は、ゆっくり、歩きながら
(深雪は、何うしたかしら――何うするだろう。うっかり、こんな時に、出て来て見咎められたら――深雪の、見咎められるのはいいが、もし、俺と、逢引するために、などと白状でもしやがったなら、お由羅め、何んといって怒るかもしれぬし――身の破滅って、奴だな)
 小藤次は
「忍ぶ恋路の、さて果敢なさよ、か。果敢なさすぎらあ、畜生っ」
 寂寞な闇の中に、微かに祈祷場からの鈴の音が、洩れて来た。風が梢を渡って、葉ずれの音がした。
「は、はっくしょっ」
 小藤次が、くしゃみをすると同時に
「静かにせんか」
 と、さっきの侍の声が、後方でした。
「へいへい、出物、はれ物ってことがあらあ。済みません、ってんだ。あっ、はっくしょいっ」
 と、いった時、遥かに、広縁で、とんとん板を叩く、微かな音がした。

 小藤次は、佇んで振向いた。深雪の合図であった。
(拙《まず》いところへ、出て来ゃあがって――)
 と、一寸腹が立ったが、すぐ
(見つかったら、大変だ)
 と、思った。そして、自分の後方を跟《つ》けて来ている侍が、何うするか?
(もし、誰かが深雪を見つけて、馳せつけるようなら、もう一度、忍んで行って、何んとか、助けてやらずばなるまいが――)
 小藤次は、闇で見えぬ広縁の方へ、深雪の姿を、
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