を睨んだ。そして、痛そうに、脇腹を押えて、身体をかがめていたが、だんだん俯向いて、苦しそうに丸くしゃがんでしまった。深雪は
(少し、手強《てごわ》すぎたかしら――本気に、腹を立てたなら、今夜の祈祷場を覗くことも、水の泡になるかもしれぬ。何うしたなら?)
と、思った。それで、やさしく
「こんなところで、欺し討のように――そんな卑怯なことなさらずとも、もっと機がござりましょう。約束約束と――妾よりも、小藤次様が、約束をお守りなされずに――」
と、眼で睨みながら、言葉は柔かにいった。
「俺は、俺は、たたたた、物を云っても痛いや、何も、たたたた」
「今夜、遅くに、お居間の廊下へ忍んでござりませ」
小藤次は、くちゃくちゃの顔に、微笑んで
「本当かい」
「ええ」
深雪は、こう云うと共に、眩暈《めまい》したような気持になった。自分の言葉で、自分を泥の中へ、蹂躙《ふみにじ》ったように感じた。涙が出てきた。自分の身体も、心も無くなって、ただ、悲しさだけのような気がした。
(操を捨てなくてはならぬかもしれぬ。その代り、調伏の証拠を握って――)
「こ、今夜、子《ね》の刻《こく》前に――」
小藤次は、よろめいて立上りながら
「広縁で」
深雪は、頷いた。
「たたた、痛えよ、深雪、えらいことを知ってるのう。ああ痛え」
小藤次は、少し笑った顔を見せたが、未だ脇腹を押えていた。
「忍ぶ、恋路の、か――さて、果敢《はか》なさよ、とくらあ」
小藤次は、口の中で、唄いながら、植込みの中から、広縁の方へ、足音を忍ばせて、入り込んで来た。
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真暗、くらくら
くろ装束で
忍び込んだる恋の闇
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と、手を延して、広縁の板へ触れたとき、背後から
「何用でござる」
小藤次は、冷たいもので、身体中を逆撫でされたように感じた。柄へ、手をかけたが、膝も、拳もふるえていた。
「誰だ」
振向いて、身構えると
「御祈祷場、警固の者でござる」
誰ともわからぬ、黒い影は、そう、役目にいったまま、小藤次の前に突立っていた。小藤次は、安心すると同時に
(初めっから、俺を見張ってやがったな)
と、思うと、柴折戸《しおりど》のところから、四辺をうかがって、おどおどとした姿で、忍び込んだ自分の滑稽さを想い浮べて、腹が立ってきた。
「そうかい。えらい、厳しいんだね」
冷
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