いうようなところを、案内してくれた。上の厠だけでも三ヶ所、下の厠だけでも五ヶ所あった。
 それから、屋敷の中の心得を、口早に喋って聞かせた。古参の者には言葉を返してはならぬし、命令に反くこともならぬとか、夜中の厠行は、幾時までとか、湯は新参者が一番に入って、古参の肩を流して、自分は御仕舞いに出るのだとか、化粧部屋は一番御仕舞いに入って、皆の掃除をして出て来るとか――細かいことが、無数にあった。
 それから、作法を見ると云って、四、五人の老女が坐って、茶を運ばせた。そして、茶碗の捧げようが、高いとか、低いとか、摺り足で歩いても、そんなに畳の音をさせてはいけないとか、眼のつけどころが――脣の結びようが――深雪は、自分さえ正しければ、自分の学んだ礼法は、武家作法だし――少しも、間違っていないと、思っていたが、老女達は、そういうことを問題にしていなかった。
 彼女達は、古参ということを誇り、自分の下らぬ知識を見せびらかし、それから、自分達の独り身で老い朽ちて行く憤りを、美しく、若い女に向けて、それをいじめることを楽しみとしていた。
 素直な、世間知らずの深雪に、そんな気持は判る筈が無かった。眼七分目に捧げたら、低すぎると叱られ、八分目にすると、高すぎると罵られ、その夜の湯殿で、肩を流しようが悪いと、湯を、肩からぶっかけられた時、明日にも、暇をとって戻ろうかとさえ思った。そして、冷たい、固い、臭のある蒲団をきて、じめじめした部屋で、泣きあかした。
 鶏が鳴いて、夜が明け切らぬ頃から、耳を立て、拍子木の廻るのを聞いていた。そして、侍女を起す木が響くと共に起き出た。老女は、雑用婦のする務である廊下の雑巾がけを深雪に命じ、それが済むと、厠の掃除までさせた。
 だが、そうして、いじめられている深雪の痛々しさ、雑用女の仕事までさせる老女中の横暴を見ると、若い女の中には、深雪へ同情する者が出来てきた。深雪が、部屋の隅で、小さくなっていると、側へ来て、小声で
「暫く、辛抱なさいませ」
 と、慰めてくれた。それは、当の無い、漠然とした、頼りない言葉であったが、深雪にとっては、この上ない力になった。
 食事時には、一番あとから食べかけて、一番早く終らなければならなかったし、午後の暇な時には、古参が、笑い話をしていても、その人々の着物をつくろったり、鏡を拭いたりしなければならなかった。深雪は

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