かに明るくなった。庄吉は、上り口で突立っていた――富士春は、狭い土間から、庄吉を睨みつけていた。そして、行燈《あんどん》の光が家の中へ充ちると共に、素早く、家の中を見廻した。深雪はいなかった。
「さあ――庄さん、もう一度、お坐り。師匠、ささ、ずっと、これへ」
「はい」
富士春は、上ろうともしないで
「一体、何うするんだい」
低い声で、鋭く庄吉に云った。
「うめえ魚が、手つかずであるんだ。御馳走しよう」
南玉は、戸棚から、大きい皿を出して、畳の上へ置いた。
「返事をしないのかい」
富士春が、下から、又、庄吉を咎めた。庄吉は
「帰って話そう」
と、土間へ降りかけた。
「ここでいいよ。帰ると、うるさいよ。お上り。南玉さんにも、妾ゃ、聞いてもらうよ」
「聞くぞ、聞くぞ。わさびが利《き》くぞ」
南玉は、刺身のわさびを、なめてみた。
「大丈夫に利く。さあ、こっちい来て、食べながら、一喧嘩。へへん、出来立ては、喧嘩のあとで環が鳴りって、とかく、痴話喧嘩と申すものは、仲がよいと、始まりやす。仲人を、あの茶瓶がと、寝て話し、桃牛舎南玉が一つ、この茶瓶になりやしょう。どうぞ、こちらへ」
「御邪魔させて頂きます」
富士春は、上りながら、突立っている庄吉の袖を捉まえて、引張った。
「何しやがるんでえ」
庄吉が振り切るはずみ、袖口が裂けた。
「おやっ、大層、手荒いのね。そうだろうよ、新情人《しんいろ》の前じゃあ、威勢のいいところを見せたくなるもんだからね」
富士春は、これだけ、静かに云うと
「口惜しいっ」
と、叫んで、庄吉の左手へ、齧《かじ》りついた。
「手荒いことをしちゃいけねえ」
と、南玉が、立上った。
「痛えっ、畜生っ」
庄吉は、手を振り切って、女の肩を蹴った。
「蹴ったな、おのれ――ようも、人を、足にかけたな」
南玉は、行燈の灯を吹き消した。そして、大声に
「ぽんと蹴りゃ、にゃんと泣く」
と、部屋いっぱいの声で叫んで、二人に、近づいて
「人気に障る、師匠、長屋の餓鬼共に見つかったら、うるさい」
と、小声でいった。そして、庄吉の袖を引張って、耳許で
「あっちへ」
庄吉も、富士春も、真暗な中での喧嘩は張合が無かった。
「とんだ迷惑で」
庄吉は、こう南玉に云って、奥の方へ足さぐりに行った。
南玉は戸口へ出て
「ええ、おやかましゅう、只今のは、南玉、講釈
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