最後の生命がつきようとしていた。
「牧」
 八郎太が、よろめいた。そして
「御身が、牧――仲太郎か」
 と、呟いた。もう、牧が何者であるか、判断がつかないようであった。眼を開いて牧を見ようとしたが、瞳がだんだん開いて、力が無くなってきていた。だが
「牧」
 と、呟くと、眼が、光を帯びて
「おのれ」
 顫える手で、刀を探すらしく手を延した。牧が、仙波の耳へ口をつけて
「仙波、小太郎は、無事に逃れたぞ。見てみい。見事に働いた。仙波っ――小太郎は、無事だぞ。逃れたぞ。小太郎は無事に逃げたぞ」
 八郎太は、もう、耳が聞えぬらしかった。微かに
「小太郎――な、七瀬――娘、娘は?」
 と、いった。牧は、ぐったりとしてしまった八郎太を、草の上へ静かに置いて
「小太郎は、逃げのびたぞっ」
 と、耳許で、絶叫した。八郎太の、血まみれの脣に、微笑が上った。牧は、涙を浮べていた。八郎太の脚が、手が、だらりとなって、眼を閉じると共に、牧は、端坐して合掌した。
 秋の日が、傾きかけた。風が、いくらか、弱くなって来た。
 山の下の方には、時々、浪人達の叫び声がしていたが、それも稀になった。
「埓も無い――一体、何事じゃ」
 いつの間にか、登って来た山内が、牧の、坐って、仙波の死体へ黙祷している後姿を見て、呟いた。斎木が、じろっと、山内を睨んだ。

  南玉奮戦

 内玄関から、狭い、薄暗い廊下を、いくつか曲ると、遥かに、明るい、広々とした廊下と、庭とが見えてきた。深雪は、こんなに、御屋敷が広いとは思わなかった。先に立っている案内の老女が、狭い廊下のつきるところ――三段の階段があって、それを登ると、広書院の縁側になるところまで来た。そして
「暫く」
 と、小藤次に挨拶して、そのお鈴口につめているお由羅付の侍女へ、何か話をすると、侍女が一人、奥へ立って行った。
「只今、御案内致します。暫く、これにてお控え下されませ」
 老女は、こう云って、小藤次に、深雪に、南玉に、そこへ坐って、待っておれ、というように、自分から廊下へ坐った。深雪は、老女へ、お辞儀をして、すぐ、つつましく坐った。
「絶景かな、絶景かな」
 南玉は、口の中で呟いてから、小藤次に
「ね、芋を植えると――」
「叱《し》っ」
「小父さま、お坐りなされませぬか」
「板の上は、腰が冷えるで――」
 南玉が、庭へ見惚れている時
「岡田様、御案内
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