「老いぼれっ。参るぞ」
 じりっと、一人が一足つめて来た。瞬間
「や、やあっ」
 右手から、繰出した槍――八郎太は、自分を牽制するための槍とは知ってはいたが、反射的に避けたはずみ――たたっと、よろめくと
「ええいっ」
 八相の烈剣、きえーっと、風切る音を立てて打込んだ。よろめきつつ、がんと受けたが、その獰猛な力に圧倒されて、刀の下った隙――頭から、額へかけて、頭蓋骨を切り裂かんばかりの一刀――八郎太は、その瞬間、眼を閉じてしまった。よろめいた。地が引っ繰り返って、天になりそうに、脚が、細く、力無くなって、身体が宙返りするように感じた。頭の中で、があーんと、頭いっぱいに鳴り響くものと、全身にこたえた痛みとがあった。眼を開いているつもりであったが、暗黒だった。夢中で、刀を、頭上に構えた。そして
「小太郎、犬死すな」
 と、自分では、力いっぱいに叫んだつもりだが、自分の耳にも聞えなかった。腕が、肩が、何かで撲られているように、微かに感じた。そして、暗黒な、地の底を、急に墜落して行くようにも感じるし、宙ぶらりんに、止まっているようにも感じた。何か、耳元で叫んだようであったが、どんな意味か、もう判らなかった。ただ、小太郎に
(犬死すな)
 と、思った。

 小太郎は、闘志と、怨恨とに狂った猛獣であった。何を、自分で叫んでいるのか、何う、手を――脚を動かしているのか、わからなかった。
(皆殺しだ)
 と、いう憤りが、頭いっぱいに、熱風のように吹きまくっていた。父の倒れるのを、ちらっと見ただけであったが――食いしばった紫色の脣と、血を噴く歯、怨みに剥き出した真赤な眼球、肉が縮んで巻上った傷口、そこから覗いている灰白色の骨、血糊に固まった着物、頭も、顔も、見分けのつかぬくらいに流れている血――そんなものが、頭の中で、ちらちらした。
 対手の浪人の恐怖した眼、当もなく突き出してくる刀、翻《ひるがえ》る袖、跳ねる脚、右から、左から閃く刀、絶叫――倒れている浪人――そんなものが、眼の前を、陰の如く、光の如く、ちらちらした。
 血で、指が、柄から辷《すべ》りかけた。膝頭が曲らないように疲れて来た。呼吸が、肩で喘がなくてはならなくなってきた。舌は干《かわ》き上って、砥石のように、ざらざらしてきた。脚も、頭も、腕も、灼けるように熱かった。
(いつの間にか、かなり斬られたらしい)
 と、ふと
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