抵抗になっている前で、小太郎は大上段に、振りかぶっていた。
「小太っ」
と、八郎太が叫んだ。その瞬間、血煙が立って、突き出ていた刀が、地上へ落ちた。浪人は、岩角から崩れるように、背を擦りながら潰えてしまった。小太郎は、血刀を下げてこっちへ戻りかけた。
「ううっ――うむーん」
味方の一人の唸《うめ》き声が天童の後方に聞えていた。熊笹の中で――すぐ、後方で聞えていた。天童が、その方へ振向くと、八郎太の脚が、すぐ眼の前のところにあった。天童は、右に置いてあった刀を取上げて、少し、身体を斜めにした。そして、構えると、その瞬間
「父上っ」
小太郎が、絶叫して、走り出して来た。八郎太が、小太郎の叫び声と、その指さすところを、ちらっと、見た途端
「おのれっ」
飛び退きざまに、天童へ斬り下ろしたが、一髪の差があった。天童の刀が、八郎太の足へ届いていた。八郎太は、よろめくと、すぐ、笹の中へ、仰向きに転がった。
「おいぼれっ。覚えたか」
天童が、灰色の顔で、八郎太の転がっている身体を睨んだ時、小太郎の足音がした。天童が、振向いて、周章てて構えるも、構えぬもなかった。
「うぬっ」
小太郎の絶叫と共に、天童の頭に、ぽんと鈍い音がして、赤黒い味噌のようなものが、溢れ出した。天童は、刀を構えたままで、頭をがっくり下げた。小太郎は
「馬鹿め、馬鹿め」
と、つづけざまに叫んで、天童の肩を、斬った。右腕が、だらりと下って、切口が、木の幹の裂けたように、真赤な裂け口になった。小太郎は、それを足で蹴倒した。血が、どくどく湧いて、土の上へ流れた。
八郎太は、起き上って、笹の上へ脚を投げ出して
「心配するな、傷は浅い」
と、云った。だが、すっかり疲労しているらしく、刀を側へ置いて、両手を草の中へついて、肩で溜息をしていた。
「御手当を――」
「うむ。大丈夫か、上の方は」
「逃れた奴はござりませぬ」
八郎太は、懐へ手を入れた。小太郎は、父の横へ片膝を立てて、父の取出した布をもって
「疵所《きずしょ》は?」
「膝の上下――その辺一面に、ずきずきしているが」
小太郎は、袴の脇から手を入れて疵所を探った。そして、小柄《こづか》で、袴を切り裂いて、手早く、手拭で太腿をきつく縛った。いつの間にか、腓から、向う脛も、探ると、べっとりと、指が粘って、脚絆の上へも、微かに血が滲み出していた。印籠の口を
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