御貴殿達へ申し入れる。吾々の姓名は御容赦願いたい。当山の許可を受けて、都合によりここより一切登山を止めておりまする。お戻り願いたい。甚だ勝手ながら、何卒」
 一人は、横を向いて、草鞋で土をこすっていた。

「ははあ――」
 八郎太は、さも感心したようにいったが
「当山の許しを得たと仰しゃれば、是非もござらぬが――念のために、許可状を拝見致しとうござる」
 後方にいた侍が、険しい眼をして、八郎太の方へ向き直った。
「頂上には、尊貴の方が修行してござるで――お戻り願いたい」
「尊貴の方とは?」
 二人は、答えなかった。
「尊貴の方の、御名前を承りたい」
 小太郎は、静かに足を引いて身構えにかかった。いつの間にか、顫えが無くなっていた。
「しつこい。断って通られるなら――」
 八郎太が、大声で
「尊貴の方とは、牧仲太郎か」
「何っ」
 二人が、一足退って、柄へ手をかけた。八郎太は畳みかけて
「牧の修法か」
 二人は
「如何にも――それを知って通るとあらば、血を見るぞ」
 と、叫んだ瞬間、杉木立に、谷間に、山肌に木魂して
「ええいっ」
 小太郎の腰が、少し低くなって、左脚が、後方へ――きらっと、閃いた白刃は、対手を打つか、打たぬかに、小太郎の頭上で、八相に構えられていた。対手の肩口の着物が、胸の下まで、切り裂けて、赤黒い血が、どくんどくんと、浪打ちつつ噴き出していた。対手は眼を閉じて、暫くの間、前へ、後方へ揺れていたが、声も立てずに、脚も動かさずに、転がってしまった。それは、ほんの、瞬間だった。
「よし」
 と、八郎太が、声をかけた。残った一人は、蒼白な顔をして、正眼につけたまま、動きもしなかった。小太郎の早業に、腕の冴えに、すっかり圧倒されてしまって
(逃げたら後方から斬られる――だが、逃げないでも――)
 と――それは、丁度、猛獣に睨まれている兎であった。自分の斬られるのを知りながら、もう、脚も、頭も、しびれてしまって、自由にならないのだった。
 小太郎が、八郎太に
(斬りましょうか)
 と、目配せをした。八郎太は、顔を横に振った。そして、静かに、刀を抜いて
「覚悟」
 対手は、八郎太へ眼を向けた。そして、じりっと、脚を引いた刹那
「やっ――」
 真向からの打ち込を、ぱちんと受けて、摺り上げようとした瞬間
「やっ、やぁーっ」
 老人とも思えぬ、鋭い気合が、つづけざまにか
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