うようなことは、考えられなかった。二十年でも、三十年でも、毎日同じことをしていなくてはならぬ運命だと、感じていた。父が、意地のため、自分のために、牧を斬って、それで仙波の名が名高くなったとて、何うなるのか?――益満程の才人が、腕前で、家中の人々から恐れられ、称められても、少しの出世も出来ないのに、牧を斬ったとて、何う出世が出来るか?――それよりも、牧を斬って、その手柄の代りに、母と父とを救い、妹と、自分とを、もう一度、二人の膝下へ集めたかった。苦労ばかりをして来た母に、皆の団欒を見せて喜ばしたかった。牧を討つのも、そのためになら――と、思った。
 名越左源太の子は九歳であっても、小太郎は、益満は、道を譲らなくてはならなかった。伊集院平の倅が、少し馬鹿であっても、二千石を継ぐのに十分であった。益満は、それに不平をもっていたが、小太郎は諦めていた。だが、斉彬公の愛には望みをもっていた。斉彬公の代になったら――自分の才も、腕も、きっと、人に認められるであろう。知行は昇らなくてもいいから、自分の器量を――と、思うと、斉彬を呪っている牧が、憎くなってきた。
 だが、父が、牧を討たずに死ぬ?――それも犬死ではないか。益満は、きっと遅れても来着するだろう。それを待って、牧を襲っても遅くはないのに――十人も警固の人数がいては、敵さないことは判り切っているのに――。
 小太郎の闘志は、少しも起って来なかった。父は独りで興奮しているが、あの手紙も、何も皆※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]で、この深い山の中は、この堂と同じように、沈黙と、荘厳とだけしかないのだ。牧なんか居るものか――というように思えた。
 八郎太が立上った。杉木立の下を、熊笹の中を、裾を捲り上げて登った。羽織の下に襷をかけて、鎖鉢巻を袖の中へ隠して
「油断するなよ」
 二人が耳を澄まし、呼吸を調えて、静かな足取で、小半町行くと、人影が木立の間に見えた。八郎太が佇んで、見届けようとした時、木立の間から、細径へ二人の侍が出て来て立止まった。
「見張」
 と、小太郎が囁いた。囁くと共に、拳も、胴も、膝頭も、ふるえ出した。押えても、ふるえが止まらなかった。腋の下に、冷たい汗が流れて来た。
(逆上してはいけない。怯けてはいけない)
 と、押えたが、何うしても止まらぬうちに、二人の前近くへ来た。一人が、径の真中で

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