しておるが――一得一失でのう」
「一得一失とは」
「お前には判らん」
百城が廊下へ膝をついて
「まだ差立てませぬと、申しておりました」
「いかんのう――兵制を改めて洋式にしたので、異国方め、ぶうぶう申しておる最中に、廃止手当を遅らせては――」
調所は、国許の反由羅党、反調所党の顔触れを見た時、すぐそれが斉彬擁護の純忠のみでなく、兵制改正、役方任廃に就いての不平者、斉彬が当主になれば出世のできる青年の多いことが目についた。
(そうだろう。そうそう忠義ばかりで、命を捨てられるものではない。万事は金、原因は何うあろうと、今度の動機は利害のこと――結果も、利害で納まるだろう)
「別仕立で早く、渡してやれと、申しつけい」
調所が、百城に命じた。
「立身出世は、あせってはいかん。わしが、この藩財を立直す時には、三十ヶ年かかると思うた。朝五時に起きて、夜十時まで――町人に軽蔑され、教えられ、幾度も死を決して、やっと見込みのつくまでに三年かかった。それから、江戸、大阪、鹿児島と三ヶ所を、年中廻って、三十年が、二十年でこれだけになった。三ヶ所に積んだ軍用金が三百万両、日本中を敵として戦っても、三年、五年の程は支えられよう。これを顧みると、ただ辛抱と、精力と、この二つの外に出ない。同じ人間に、そう奇想天外の策のある訳はない。周章ててはいかん。斉彬公の世にならんでも、役に立つ奴は、判っている。袋持、そうでないか」
袋持は、調所が、軽輩から登用した若者であったが、調所の一面には、ひどく敬服していたが、一面に又、深い物足りなさがあった。
「お前の嫁にも丁度よいの」
と、調所は云いすてて、すぐ又、帳面をのぞき込んだ。
女中達の溜りからは、薬草を植えた庭が、見えていた。鶏が、そのあたりに小忙《こぜわ》しく餌をあさっていた。それから、馬屋が近いらしく、ことこと踏み鳴らしている蹄の音が聞えていた。
一人が親子を案内して来ると、女中達は、手をとめ、足をとめて、二人を眺めた。二人は丁寧に御辞儀しながら、片隅へ坐って、俯向いていた。女中達は、すぐ、お互に、二人のことを囁き合った。そして、出て行ったり、道具の手入をはじめたりした。
(御家老は、二人の――いいや、夫の心の底まで、見抜いていらっしゃるかも知れない。島津の家を助けた方だから、そのくらいは、御発明かもしれぬ)
七瀬も、綱手もそうい
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