にしたのは、今から思えば、ひどかった。窮民の暴徒が起ったのも、少しはわしの罪もあるかな――然し、そうしなければ、あの時は、仕方が無かった――)
 調所は、思い出して、声を立てて笑った。
「良介、西の宮へ泊ったことを憶えているか」
「いや、あの時には――」
 二人は、声を合せて笑った。往来を走る人がだんだん多くなってきた。けたたましい叫びと、車の音がした。
 斉興は、借金取のために、大阪に泊れなかったので、西の宮へ宿をとると、大阪町人が一度に押しかけて来て借金の催促をした時の、可笑しさを思い出したのであった。
 その当時は、駕人足さえ雇えなかったので、使は、誰でも歩いた。道中人夫は、薩摩と聞くと対手にしないで、士分の人が、荷物を担いだ。邸の修繕は玄関までで、庭には草が延びていて、士が刈って馬にやっていた。
 そういう十年余り前のことを思うと――今は、何うだろう。芝、高輪、桜田、西向、南向、田町、堀端の諸邸の壁の白さ、こうして坐っている大阪上、中、下邸の新築、日光宿坊、上野宿坊を初め、京の錦小路の邸の修復、三都には、斉興御来邸厳封の金蔵に、百万両ずつの軍用金の積立さえできた。
 調所は、こう考えてきた時、はっとした。斉彬の世になったなら?
(未だ仕事が残っている。琉球方用船の新造、火薬の貯蓄、台場の築造、道路、河川の修繕――)
 斉彬は、年が若い。幕府の狸の手に、うまうま乗って、この金を使うようになったなら、それこそ、御家滅亡の時だ――。
 邸の表に人声が、騒がしくすると、廊下へ荒い足音がして
「申し上げます。窮民共が、米屋、両替を、ぶちこわしに歩いておりますが、御城内よりは、支配方が繰出しましてござりまする」
「邸の手配はよいか」
「十分でござります」
「水の手の支配は、佐川に申し付けえ。竜吐水を、邸の周囲へ置いて」
 六十を越したが、未だ年に二度ずつ、大阪を出て、江戸から、鹿児島へ巡廻して来る元気のある調所は
「馬の支度」
「御前が――」
「見に参る。何ういう様子か」
「危うござります。お止めなされませ」
 近侍が、眉をひそめて、こういった時
「御国許より、牧仲太郎殿、御目通を願いに出られましたが――」
 と、襖越しに、物静かな声で、取次侍が、知らせてきた。
「牧が――」
 調所は、半分立ちかけていた腰をおろして
「すぐ案内せい、鄭重に――」
 物をこわす音が、少し
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