か」
と、一人が聞いた。
「何んじゃな」
「暴民のように心得まする」
言葉の終らないうちに、門前の施民の群が、鬨の声を揚げて走り出した。
調所は、金網から、身体を起して
「見て参れ――加納に、すぐ邸を固められるように、手配申しつけておけ」
二人の去る足音に混って、大勢が往来を走る――騒ぐ音が聞えて来た。
「起る、起ると、前々から噂立っておりましたが――」
「窮民も、無理はないし――と、いって、金持にも、理前がある」
調所は、こういって微笑した。財政整理の命を受けて、大阪へ来た時、大阪町民は一人も相手にしなかった。一人で、六十万両を貸付けていた浜村孫兵衛が、催促しがてら、話対手になっただけであった。
調所は、自分の企画が成立しなかったら、切腹するつもりだった。孫兵衛を前にして、年々十二万斤の産高、金にして二十三四万両の黒砂糖を、一手販売にさせることから、米、生蝋《きろう》、鬱金《うこん》、朱粉、薬種、牛馬、雑紙等も、一手に委任するから、力を貸してくれと、頼み込んだ。
そして、孫兵衛が承諾するのを見て、密貿易《みつがい》の利を説いた。孫兵衛は、余り事が大きいから、重豪に一度、拝謁してからというので、江戸へ同道して、渋谷の別邸で引合すと、重豪は
「孫兵衛、路頭に立つと申すことがあるが、今の予は、路頭に臥てしまっておるのじゃ、あはははは。万事、調所と取計ってくれ」
と、いった。将軍家斉の岳父である、重豪の言葉であったから、孫兵衛は決心した。
調所は、こうして利を与えておいてから、大阪町人に借金している五百万両の金を、二百五十ヶ年賦で返す、という驚くべき方法をとった。孫兵衛は、人々に、どうせ取れぬ金だ、仕方がない、と、説得した。
町人が、余りの仕儀に怒っているところへ、幕府からの献金が来た。つづいて、町人の奢侈《しゃし》禁止が発布された。だが、窮民共は、このへとへとになっている町人へ、米高の罵声を浴せかけた。
窮民といっても、本当に、その日の朝から一粒の米も無いというのは、少かった。
「貰わんと、損やし」
と、一人が、笊《ざる》を抱えて出ると
「こんな着物でも、くれるやろか。もっと汚れたのと、着更えて行ったろ」
と、頑強な男が施米所へ走り出した。
そういう人々は、鬨の声、火の手、煙――それから、本当の窮民は僅かで、乞食と、無頼漢とが、勝手に暴れて
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