声がしたので、振向くと、侍が七人、怒鳴っていた。その中に、七瀬の顔見知りの人がいた。立場の横には、掘抜井戸があって、馬の、雲助の、飲み水になっていた。駄賃をもらうと、駕を、軒下へ片付けて、雲助はその井戸へ集まった。
「今し方、五梃、侍が乗って行かなんだかのう」
「行かっしゃりました」
「何の辺まで参っておろう」
「さあ、この宿を――外れたか、外れんかぐらいでござんしょう」
 筆を、耳へ挟んで、立場の取締りらしいのが答えた。七人の侍は、軒下に陽を避けながら、何か囁いては、頷き合った。
「酒手《さかて》をはずむから、急いでくれんかの」
「心得ました」
「てへっ、てへっ、今日は、女っ子が抱けるぞ。いい御天道様だっ」
 雲助達は、元気よく、駕を担いで走り去った。七瀬は、何んとなく、だんだん胸騒がしくなってきた。そして、宿の方へ歩き出した。その時
「ほいっ、ほいっ」
 と、四人立の駕が、すぐ後方へ来た。七瀬が振向くと、駕の中の人の眼が光って
「七瀬殿、何を愚図愚図」
 と、叫んだ。益満であった。
「夫は?」
「とっくに――今、敵の討手が、七人、吾々同志を追って参ったであろうが――」
 と、いう内に、駕は眼の前を行きすぎていた。七瀬は、裾をかかげて走り出した。

「追っつきましたぜ、旦那」
 駕の中の侍は、駕をつかまえて、身体を延した。そして
「垂れを下ろして――」
 自分で、そういいながら、垂れを下ろしてしまった。七梃の中二梃には、槍が立ててあった。
 同じ、宿場の駕として、四人仕立のが、二人立の駕を抜くのは当然であったが、二人仕立同士の抜きっこは、止められていた。だが、酒手の出しようで、駕屋は、対手に挨拶をして、抜いてもよかった。七人の侍の駕は、五梃の駕へ追いつくと
「兄弟、頼むっ」
 と、棒鼻が叫んだ。
「おおっ――手を握ったか」
 後棒が、振向いた。
「その辺――」
 お互に、仲間の符牒《ふちょう》で、話し合って、追い抜いてしまった。大磯と、小田原の間、松並木つづきで、左手に、遠く、海が白く光っている所であった。
 小田原から、箱根越の雲助は、海道一の駕屋として、威張っていた。七百文の定賃に、三百文の酒手ではいい顔をしないくらいであった。美酒、美食で、冬の最中にも裸で担ぐのを自慢にしていた。その裸の腕へ、雪が降っても、すぐ、消えて行くのが、彼等の自慢の第一であった。

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