上れるか、上れんか、なあ、それから先にして、俺《おいら》あ、もう一度来るから、深雪さんも、よく考えておいてくんな。そりゃあ、無理をすりゃあ、邸の中でも――出来ねえこたあねえが、窮屈だからのう、邸勤めってのは」
「話あ、きまりましたかえ」
 と、庄吉が、小藤次の顔を見た。
「庄公も、一つ骨を折っといてくれ。なかなか、利口なお嬢さんだ。じゃあ、師匠、又来らあ。お邪魔したのう」
「手前も、今夜、ゆっくり、口説いてみましょう」
「師匠の口説くなあ、講釈同然、拙いだろうの」
 と、いいつつ、深雪に挨拶して立上った。常公も、庄吉も、南玉も、上り口まで見送って来た。深雪は、まだ短刀を握りしめて俯向いていた。
「お嬢さん――邸奉公なさるって――そりゃあ、一体、貴女《あんた》の望みか、それとも、この南玉爺の」
「これこれ、爺とは、何んじゃ。齢はとっても、若い気だ。物を盗っても、庄吉と、いうが如し、とは、これいかに。うめえ問答だ。明晩、席で、一つ喋ってやろう」
 庄吉は、南玉が喋るのを、うるさそうに聞きながら
「勤めなんぞより、お嫁に行きなせえ。早く身を固めた方が、利口ですぜ」
 庄吉は、じっと、深雪を凝視めつつ
「だが、びっくりなさんな。こうすすめるのは庄吉の本心じゃあねえんで――その懐の中、手のかかっているものは――」
 深雪は、庄吉を見た。
「短刀でげしょう」
 深雪の眼も、懐の手も、微かに動いた。
「商売柄判りまさあ。お由羅のところへ奉公に上って、その短刀が――」
 と、いった時、南玉が
「わしの、講釈よりも、筋立が上手だよ、のう庄吉」
「誰も、俺を、巾着切だとおもって対手にしねえが、流石に、益満さんは、目が高えや、南玉。深雪さん、益満さんは、貴女のお父さんが、牧を討ちに行ったと、あっしを見込んで打明けて下さいましたぜ。床下の人形のこたあ、世間でも知ってまさあ。二つ合せて考えて、その短刀と三つ合せて考えて、小藤次の色好みを幸に、御奥へ忍んで――ねえ、あっしゃあ嬉しゅうがすよ。十七や、八で、その心意気が――あっしの手が、満足なら、忍び込んで御手伝いしやすがね」
 庄吉の言葉は、二人を動かすに十分であった。だが、二人とも黙っていた。
「あっしに、何か、一仕事――庄吉、これをせいと、お嬢さん、何かいいつけて下さんせんか――死ねとか、盗めとか」
 二人は、黙ったままであった。
「じゃあ
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