は、よしやしょう。とにかく、こいつあ御納め願います。ほんのあっしの志で――」
 左手で、財布を、七瀬の膝の方へ、押しやって、立上った。
「お前――」
「さよなら」
「これっ――又蔵」
 七瀬は、又蔵へ財布を渡して、庄吉を追わそうとした。表口から、庄吉が振返って
「深雪さんにゃ、手前がついていやす。御心配にゃ及びません。さよなら」
 口早に叫んで、微笑した。そして、軒下から足早に走り去ろうとした時、二人の馬上の武士が通りかかった。又蔵が、駈け出して来た。七瀬が、上り口のところまで出て来た。
「下郎」
 馬を停めて、馬上から侍が呼んだ。又蔵が振向くと、一人の武士が、七瀬を、顎でさして
「仙波の家内ではないか」
 又蔵は、不安そうな顔をして、馬上の人を見上げた。

 一人が、馬から降りて、左手で編笠の紐を解きつつ
「仙波殿の御内室では、ござりませぬか。久し振りにて、お眼にかかりまする」
「おお、池上」
 国許で、小太郎の友達として、出入していた池上であった。
「どちらへ?」
「貴下は?」
「江戸へ」
「妾は、国許へ」
「亭主、ちょっと、奥を借りるぞ」
 池上は、こういって、未だ馬上にいる兵頭へ
「降りて来いよ」
 と、声をかけた。そして、奥へ入ろうとすると、赭っ茶けた襖の前に、花が咲いたような綱手が坐っていた。
「これは――御無礼致した。亭主、客人がいるでないか」
 七瀬が
「いいえ、お見忘れでござりますか、あの綱手」
 綱手が、御辞儀した。
「ああっ、綱さんか、わしは――」
 池上は、少し赤くなった。そして、小声で七瀬に
「寛之助様の、御死去の折、たしか、お守役と聞きましたが――それに就いて、ちと、聞いたことがあって」
 池上は、打裂羽織《ぶっさきばおり》の裾を拡げて、腰かけた。兵頭が、土間の奥の腰掛へ、大股にかけて
「初めまして、兵頭武助と申します」
 と、挨拶した。七瀬は、二人の丁度間へ坐って
「如何ようの?」
「国許では、御変死、と噂しておりますが――」
 池上は、こういって、七瀬の顔を、じっと見た。
「はい、御変死で、ございます」
 七瀬は、言下に、はっきり答えた。
「と、申すと、証拠でもあって」
「調伏の人形が床下にござりました。小太郎が、それを掘り出しましたが、そのために、八郎太は浪人――妾は、国許へ、戻るところでござります」
 池上は、暫《しばら》く黙って
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