未練者がっ」
 と、怒鳴った。しめった声であった。

  両党策動

 目黒の料亭「あかね」の二階――四間つづきを借切って、無尽講だとの触込みで、雨の中の黄昏時から集まって来た一群の人々があった。
 もう白髪の交っている人もいたし、前髪を落したばかりの人も混っていた。平島羽二重の熨斗目《のしめ》に、精巧織の袴をつけている人もあったし、木綿の絣を着流しに、跣足の尻端折で、ぴたぴた歩いて来た人もあった。
 人々の前には、茶、菓子、火鉢、硯、料紙と、それだけが並んでいた。階段から遠い、奥の端の部屋の床の前に、名越左源太、その左右に御目見得以上の人々。そして、その次の間の敷居際には、軽輩の人々が、一列に坐っていた。
「仙波が来ぬが、始めよう」
 名越左源太は、細手の髻、一寸、当世旗本風と云ったようなところがあったが、口を開くと、底力を含んだ、太い声であった。
「今日の談合は――」
 と、云って、低い声になって
「御部屋様の御懐妊――近々に、目出度いことがあろうが、もし、御出生が、世子ならば、その御世子を飽くまで守護して、御成長を待つか。又、それとも――女か――或いは、男女の如何に係らず、お由羅派を討つか、それとも、牧仲太郎一人を討つか――この点を、計って見たい」
 居並ぶ人々は、黙っていた。
「つまり、成るべくならば、家中に、党を樹てたくはない。たださえ、党を作ることの好きな慣わしの家中へ、御当主斉興派、世子斉彬派などと分れては、又、実学崩れ、秋父崩れなどより以上の惨禍が起るに決まっておる。これは御家のため、又漸く多事ならんとする天下のために、よろしくはない――然しながら――」
「声が、高い」
 と、一人が注意した。左源太は、又、低声《こごえ》になって
「斉彬公の御子息御息女四人までを呪殺したる、大逆の罪、しかも、その歴々たる証拠までを見ながら、これを不問に付するということは、家来として、牧の仕業に等しい悪逆の罪じゃ。ただ――もし――然しながら、この企てが、お由羅の計画であり、斉興公も、御承知とすれば――吾等同志は、何んと処置してよいか? 福岡へ御|縋《すが》りするか? 幕府へ訴えて出るか、斉彬公へ仔細に言上するか?――もし、このまま捨ておいて、御出生が男子なら、牧は又、呪殺するにちがいない。然らば、牧を討つか? 然しながら、果して、牧一人討って、禍根を絶滅させうるか? 牧
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