っ、除けっ」
その声と共に一
「御役人だ」
と、人々が、呟いた。
小太郎は[#「小太郎は」は底本では「小太部は」]、立っている大地が、崩れて、暗い穴の中へ陥って行くように、絶望を感じた。だが
(取乱してはいけない)
と――父のこと、母のことよりも先に、武士として立派な態度をとりたいと感じた。
「何うした」
自身番に居合せた小役人は、小藤次と顔馴染であった。小太郎を、じろっと見たまま、職人にこう聞いた。
「そいつが、常を殺しゃあがったので」
役人は、小太郎に
「何れの御家中で――」
「薩藩――」
と、口に出して、黙ってしまった。その途端
「薩藩? 巫山戯《ふざけ》るねえ。得体の知れねえ馬の骨のくせに、薩藩? 一昨日《おととい》来やがれ、この乞食侍」
庄吉が怒鳴った。小藤次が
「昨日までは、俺んとこの下っ端だったが、不都合をしゃあがって、お払箱になった代物だ。一つ、しょっ引いて行ってくれ。人の骨を折ったり、殺したり、近所へ置いとくと、危くっていけねえ」
役人は、小太郎の手を握って
「とにかく、番所まで――」
抵抗したとて、素性の知れた身として無駄であった。だんだん多くなってくる群集に、見られたくもなかった。
小太郎は、無言で、役人と肩を並べて歩き出した。群集が、左右へ分れた。
雨は少し烈しくなって来て、道が泥濘《ぬかる》んできた。小太郎は、いつの間にか、跣足《はだし》になっていた。髪が乱れていた。頭から、びたびたかかる雨の中を、人々の眼を、四方から受けて、自身番の方へ、引かれて行った。
「常っ」
「うむ」
「死んじゃいねえや」
「ぺっ」
常公は、唾を吐いた
「こいつ、物を云ゃあがる。死んだんじゃあねえや、やいっ、しっかりしろ」
「しっかりしてらあ。ああびっくりした。眼から火が出るって、本当に出るもんだのう」
常公が起き上った。
「俺《おいら》あ、殺されると、思ったよ。死んだ振りを、していたが」
「こん畜生っ、びっくりさせやあがって」
「あれっ、前歯が折れてやがらあ」
常は、指を口の中へ突込んだ。小藤次が
「よかった。仙波の小倅め、しおしおと引かれて行きあがって、いい気味だ。庄っ、溜飲が下っただろう」
「溜飲は下ったが、常公、睾丸《きんたま》がちぢみ上っちまったぞ。血だらけの面をして、眼を剥きあがって」
人々が、笑いかけた時、表口に集まって
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