したえ」
「天地玄黄の、玄の字は、黒いって字さあね。それ、千年前に、源公は、色が黒いって、古人って奴が、ちゃあんと、物の本に書き残してあるんだ。豪気なもんじゃあねえか」
「成る程、それで感ずりましましたか」
「へへへ、雀ら、嫉《そね》め嫉め、師匠の側にくっついてるから羨ましいのだろうよ。もそっと、くっつくか」
源公は、富士春の方へ、身体を寄せた。白粉と、舞台油の匂が、微かに、源公の血の中へ流れ込んだ。
「色が黒いって、福の神は、大黒天って、こら、三助。色の白い福の神があるか? 師匠のような別嬪《ぺっぴん》は、玄人って云わあ。未だあるぞ、九郎判官義経って、源頼光さんの弟だ」
「大伴の黒主ってねえ、源さん」
「師匠っ、上出来っ。天下を睨む、大伴の」
「九郎助」
「稲荷大明神」
「こんこんちきな、こんちきな」
「置きあがれ、馬鹿野郎――おやおや、喋ってる間に、定公め、一人で、煎餅を食っちまゃあがった」
「手前の洒落《しゃれ》より、煎餅の方がうめえ」
格子の開く音がして
「頼もう」
若い侍の声であった。それに応じて、富士春が
「はい」
と、店の間をすかして見た。若い衆が
「暫く、士連中の弟子入りが無かったが――」
と、呟きつつ、御神燈の下を眺めた。
「おやっ」
富士春は、裾を押えて立上った。二三人が、押えている裾のところをちらっと見た。倹約令が出て、いくらか衰えたが、前幅を狭く仕立てて、歩くと、居くずれると、膝から内らまで見えるのが、こうした女の風俗であった。そして、富士春は、今でも、内股まで、化粧をしている女であった。
「暫く」
と、小太郎の前に立った富士春は、紅縮緬《べにちりめん》の裏を媚《なま》めかしく返した胸のところへ、わざと手を差入れて、胸の白さを、剥き出しにしていた。
「益満は?」
「休さん?」
富士春は、こう云っておいて、すぐ
「もう見える筈――お上んなさいましな」
小太郎は、土間へ眼を落したままで
「間もなくで、ござろうか」
「今しがた、南玉先生も、お尋ねに見えて、いつも、もう見える時分、町内の御若衆ばかりゆえ、御遠慮はござんせん」
源公は、小太郎をじっと眺めていたが
「不憫や、この子も」
と、大声に云って
「素浪人」
と、小太郎に、聞えないように、小さく呟いた。そして
「お上んなせえまし」
「おもしろい方ばかりで――」
「暫時《ざ
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