で読むと、仲々面白い洒落《しゃれ》た会話が到る処に見出されて興味深いものがあるが、翻訳ではその味が全く無くなって、原書と比較にならぬ程面白くなくなっているのも、その故である。又、江戸時代の黄表紙が現在の言葉に翻訳されても、同様に面白味がなくなるのもそうである。
 そのように、ユーモア小説は、言葉が大切であるから、普通の小説家としての才能だけでは書けない。特別な才能が必要とされるのである。駄洒落や無理強いな可笑しさから一歩抜け出た作家の、ユーモア小説が現れれば、それは大したものだ。が併し、丁度漫画家が正道的な画家達から、軌道外の存在として見られるように、ユーモア小説家も、普通な小説家、所謂芸術小説家達から往々にして虐待される傾向があるのである。
 政治的な諷刺、社会に対する諷刺小読も、勿論、ユーモア小説の部類にはいる訳であるが、一面より見れば、小説の中に入れてもいいようである。

  六、目的小説

 或は、「宣伝小説」。先に、私は大衆文芸を内容的に分類すると、興味中心的な、娯楽本意の、事件の起伏、波瀾の興味によって読者を惹きつけようとするものと、以上のことは勿論であるが、所謂芸術小説のごとく、人間及び社会等の探究、解釈、換言するならばある何等かの思想を盛らんとするもの、以上の二つに帰することが出来ることを講じたと思う。目的小説、宣伝小説と称せらるるものは即ち後者に属する処の小説である。その中には、盛るに政治的宗教的、思想的内容をもってし、その作品に依って作者の思想を宣伝、流布しようとする物の一切の種類を含むのである。
 明治時代の、我国に海外文芸が輸入された当初に、翻訳され、制作された一切の通俗的小説が、当時の自由民権の思想に影響され、その政治的社会的思想を、積極的に流布し、宣伝する目的のもとに書かれた宣伝小説であり、その他立志の、或は教訓的な宣伝小説であった。坪内氏の訳になるリットンの「開巻悲憤慨世士伝」とか、井上勤訳する処のモアの「良政府談」とか、創作では、東海散士の「佳人之奇遇」、矢野竜渓の「経国美談」等々皆然りである。
 外国に例を求めるならば、マロックの「ジョン・ハリファックス・ゼントルマン」なぞは、立志的目的小説であり、ホオソンの「緋文字」は、宗教的、教訓的目的小説といい得るであろう。「アンクル・トムス・ケビン」は合衆国の奴隷解放を描いた宣伝小説であり、かのビクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」は、歴史的小説であるとともに、仏蘭西革命を書いた政治的社会的宣伝小説である。シェンキヰッチの「|何処へ行く《クオ・ヴァディス》」等の歴史小説でも、当時なお人心宗教に篤《あつ》かりし時代に於て、それは宗教的宣伝小説であった。トルストイの「戦争と平和」が明治時代に我国に翻訳されたのも、それが当時の社会状態に対する政治的な社会的な鋭い批判を含んでいたからであり、「復活」等が当時の帝政露西亜の政府の忌諱《きい》に触れて焼かれたにも拘らず、人心をかくも捉え得たのは、亦その政治社会に対する宣伝的要素を充分備えていたからである。トルストイの作品は、社会的目的小説であったと同時に、彼の哲学、そして宗教をも内容としたから、哲学的宗教的意味に於ける、宣伝小説でもあった。
 震災後から猛烈に、大衆文芸と、肩を並べて勃興して来た、当時の民衆文学、即ち今日のプロレタリア文学のごときも、プロレタリア的、革命的思想を民衆の間に広く宣伝せんとする意識的な宣伝小説である。外国ではかかる小説が可成りに広く深く民衆の中に根を張っている。露西亜のマキシム・ゴリキイとか、仏蘭西のロマン・ローラン、アンリ・バルビュッス、亜米利加合衆国のアプトン・シンクレア等の作品はそうである。その他、通俗読物として、ウイリアムス、梅原北明訳の「ロシア大革命史」、ジョン・リードの「世界を震撼させた十日間」等、挙げられるであろう。それ等は我国に於ても割合に広く読まれているようであるが、我国自身のプロレタリア文学は、反って未だ充分に民衆化されていないようである。我国のプロレタリア文学も、その意味でまさに転換期にあると云えるであろう。プロレタリア文学が、文壇的な大衆とは可成りにかけ放れた、狭隘な読者範囲に止っていて、その域を充分脱していないということは、プロレタリア文学の本来の目的に叛《そむ》くものであろうと思う。プロレタリア文学派の人達は、かかる自慰的な域から自身を解放して、文芸のもっと広い大道へ現れ、もっと広汎な読者層を捉えるべく、眼界を転じなくてはならない。林房雄君なぞが、近頃そのことを論じ、「大衆化」が問題とされ来ったのは、注目すべきことであろう。
 宗教が民衆の情熱でありし時代、哲学が民衆の指針でありし時代、それ等の時代には宗教的、哲学的目的小説が行われた。今や、社会の変革が民衆の声ならんとする時、まさに革命的宣伝小説は勃々たる隆興の機運にせまられている。
 その他に、戦争小説とも称ばるべき一群の通俗小説がある。我国の過去の作品を取ってみるなら、「源平盛衰記」「難波戦記」等の戦記物、日露戦役当時で謂うならば、「肉弾」、「此の一戦」等、現在では「日米戦争未来記」とか「進軍」といった類いの小説。これらは、戦争を、軍国主義を積極的に宣伝、鼓吹するものであるから、当然、宣伝小説の部門に入れられるべき性質のものである。

  七、怪奇小説

 私は、これを広い意味に於ける探偵小説、所謂《いわゆる》怪奇小説と称ばれるものも含むものである。共に、空想的疑惑、恐怖的な好奇心を唆《そそ》るものだからである。人間社会の宇宙の凡ゆる不可思議が残るくまなく科学的知識に依って解き得る時が来るまで、人間の生活をおびやかす物のみに対する人間の心理の、空想的疑惑、恐怖心は人間を誘惑するであろうし、人間社会から凡ゆる犯罪がなくなるまで、より科学的に深まりつつも、探偵怪奇に対する好奇心は人間の著しい魅力として残るであろう。尚人間それ自身は、現在では決して完全無欠ではない。例えば視覚は往々にして錯覚を生じる。錯覚とは知りながら、ある心理的状態においては、それが恐怖心を抱かすことがある。怪奇は、曾て怪奇なりしものが科学によって克服されればされる後から、愈々微妙に、複雑に、緻密にそれ自身を科学の隙間から突如として立ち現れ来るのである。一方、犯罪は愈々巧妙にして新《あらた》な方法で構成されていく。加うるにこの歪める現在の社会に於て、一方に莫大なる富のあくなき集積があると同時に、反面に貧困を愈々深刻化し広汎に拡がらせていきつつある。かかる時、犯罪は亦社会的に後を絶つべくも無いのである。
 エドガア・アラン・ポーの小説は、芸術小説の部類に含まるべきものながら、その題材は主として怪奇物語を取扱っている。我国で例を取れば、江戸川乱歩の傾向がそうである。探偵小説に至っては、益々科学的知識との結合は重大である。犯罪が愈々科学的に巧妙に行われると同時に、捜索も亦、科学的に緻密に行われる。ルブラン、ドイルより現在に至る探偵小説を吟味してみ給え。それが如何に科学を反映しているか。
 だから、怪奇小説に筆を染めんとする諸君は、よろしく何よりも科学的知識を、そこでそれと結合した特異な、豊富な空想力を涵養しなくてはならぬ。
 以上、私は概括的に、我が国大衆文芸の発達史、及びそれに加うるにその各々の種類を説明し終えた。文学は、今や世界的に転換期に到達している。ブルジョア文学よりプロレタリア文学への転換等よりもっと広汎な意味に於て。その二つを合せたものと云った意味でもない。もっと綜合的な、構成的なものへの転化の意である。成程、プロレタリア文学者は多少の科学的な考え方をするであろう。併し私の云うのは、もっとずっと広い意味に於ける科学的な知識、自然科学、社会科学全般に渡っての知識を包括して云うのである。経済、政治、その他一切の社会現象、人間の知識の凡てを、文学者が自らのものとした時、甫《はじ》めて十九世紀に全盛を見、以後次第に衰微した文学が再び勢よく発芽し、花咲き出《い》でるであろう。
 私が、以上を主張するのには、抑々《そもそも》次の三つの根拠を有するのである。
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一、赤露的言論の絶対的権威、無批判的受け入れ方、に対する批判。
一、無思想であり、無反省でありながら、然も恐しき実行力を、生活力を伝播していくアメリカニズムのジャズ文明に対する批判。
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 そして以上の二つは、当面の世界の二大潮流である。最後に、
 一、自然的人間的作用の科学文明の発展進路に対する正当なる批判、が亦文学によってなされなくてはならぬと云うこと。
 つまり、世界中の距離が縮み、世界中の思想がインターナショナル的になり、世界の学問と学問との領域が益々接近しつつある今日、その各々のエッセンスを擢《ぬき》んで、理解し、其専門化して歪められたる方向を正しきに引き戻すのは、文学者の綜合的知識と批判を俟《ま》つの他は無い。かかる任務を果し得る文学は、より以上に構成的、綜合的でなくてはならぬと考える。以上の意味に於て、私は将来の小説は、「社会的小説」であると断言して憚《はばか》らないものである。
 もし、これを文学史的に観察するならば、嘗て人類が未だ宗教に情熱を有していた当時、文学が宗教と結び付いていたように、その後文学が哲学と結び付いたが如く、そこで、又文学者の人生観に依って、人類を救わんとした如く今日我々の情熱は社会制度の変革に燃えている。それと文学が結び付くことは、歴史的に必然なことである。そして次の時代に於て、文学が科学と結合するであろうことも亦文学の必然的な道程ではあるまいか。

  第四章 文章に就いて

 これより、愈々本論にはいる訳である。この章では、一般的に大衆文芸は、如何なる文章を適当とするか、を講ずる意《つも》りである。
 大衆文芸に於ける文章は、記述の明晰にして理解し易いことを、第一条件とする。つまり、「話すが如く書く」ことを根本原則とするのである。だから、出来得る限りに於て芸術上の技巧的な個人性を出さないように努めなくてはならぬ。何故なら、技巧の表現の個人性が深まれば深まる程一般の人々に解りにくくなるものだからである。芸術が言葉の表現にある以上、芸術家としては技巧上の個性と謂うものは当然現れるものではあるが、所謂芸術小説とは異り大衆文芸といわるる一般向きのものであるからには、表現上個人的特異性のあまり深まるようなことは避けなくてはならない。此のことは、古来屡々芸術家に依っても云われて来たことであって、仏蘭西の詩人レミ・ド・グルモンも「話すがごとく書くべし」と主張している。
 だから、芸術小説と大衆小説との分岐点は題材の如何にあるのでは無くて、寧ろその文章にあるのである。例えばエドガア・アラン・ポーの幾つかの奇怪なる物語は、まさしく大衆的に興味を惹くものではあるが、その文章はあくまで個性を発揮した、立派な芸術小説的なものである如き然りである。だから、ポーの文学的地位は芸術作家であって、決して通俗作家ではない。試みに、日本の現在に於て、最も特異な文章を書く芸術作家として、有名な、横光利一君の文章を引用して置こう。後に挙げるであろう処の、大衆作家の文章と比較されたら、面白いと思う。

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 ナポレオンの腹の上では、今や田虫の版図は径六寸を越して拡《ひろが》っていた。その圭角をなくした円やかな地図の輪廓は、長閑《のどか》な雲のように美妙な線を張って歪んでいた。侵略された内部の皮膚は乾燥した白い細粉を全面に漲らせ荒された茫茫たる沙漠のような色の中で僅かに貧しい細毛が所どころ昔の激烈な争いを物語りながら枯れかかって生えていた。だが、その版図の前線一円に渡っては、数千万の田虫の列が紫色の塹壕《ざんごう》を築いていた。塹壕の中には膿を浮べた分泌物が溜っていた。そこで田虫の群団は、鞭毛を振りながら、雑然と縦横に重なり合い、各々横に分裂しつつ二倍の群団となって、脂の漲った細毛の森林の中を食
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