い破っていった。
 フリードランドの平原では、朝日が昇ると、ナポレオンの主力の大軍がニヱメン河を横断してロシアの陣営へ向っていった。しかし、今や彼らは連戦連勝の栄光の頂点で、尽く彼らの過去に殺戮《さつりく》した血色のために気が狂っていた。
 ナポレオンは河岸の丘の上からそれらの軍兵を眺めていた。騎兵と歩兵と砲兵と、服色|燦爛《さんらん》たる数十万の狂人の大軍が林の中から、三色の雲となって層々と進軍した。砲車の轍《わだち》の連続は響を立てた河原のようであった。朝に輝いた剣銃の波頭は空中に虹を撒いた。栗毛の馬の平原は狂人を載せてうねりながら、黒い地平線を造って、潮のように没落へと溢れていった。(「ナポレオンと田虫」)

 ――山上の煉瓦の中から、不意に一群の看護婦達が崩れ出した。
「さようなら。」
「さようなら。」
「さようなら。」
 退院者の後を追って、彼女達は陽に輝いた坂道を白いマントのように馳《か》けて来た。彼女達は薔薇の花壇の中を旋回すると、門の広場で一輪の花のような輪を造った。
「さようなら。」
「さようなら。」
「さようなら。」
 芝生の上では、日光浴をしている白い新鮮な患者達が坂に成って果実のように累累《るいるい》として横たわっていた。
 彼は患者達の幻想の中を柔く廊下へ来た。長い廊下に添った部屋部屋の窓から、絶望に光った一列の眼光が冷く彼に迫って来た。
 彼は妻の病室のドアーを開けた。妻の顔は、花弁に纏わりついた空気のように、哀れな朗らかさをたたえて静まっていた。」(「花園の思想」)
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 そこで、大衆文芸の文章は? くだけて云うなら、難渋な文章を書いてはいけない[#「難渋な文章を書いてはいけない」に傍点]のである。仮りに、今、手もとにある、同じ二月七日の夕刊から三つの例を次に取って見よう。諸君自身、吟味比較して読んでみ拾え。

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 四人の武士が集って、燭台の燈火を取り巻いていたが、富士型の額を持った武士が一人だけ円陣から抜けだしてふすまの面へ食っついたので、円陣の一所へ空所が出来て、そこから射し出している燈火の光が、ふすまの方へ届いて行って、そこに食いついている例の武士の、腰からかがとまでを光らせている。腰にたばさんでいる小刀のこじりが、生白く光って見えるのは、そこへ燭台の燈火が、止まっているがためであろう。と、その武士がうなされるようにいった。

「あのお方がズルズルとはって行かれる。若衆武士の方へはって行かれる。肩が食みだした。……ずっとそのさきに若衆武士がいる。……そう白の顔! 食いしばった口! 若衆武士は半身を縮ませている! ねらわれているちょうのようだ! ひ[#「ひ」に傍点]の長じゅばんがずれて来た。ズルズルとはって行かれる毎に、じゅばんのえりが背後へ引かれる! くび足が象牙の筒のように延びた。……左右の肩がむきだされた。象牙の玉を半分に割って、伏せたような滑らかで白い肩だ! ……焔が二片畳の上を嘗めた! あのお方の巻いていたしごきの先だ! ……だんだん距離がせばまって来た。でも五尺はあるだろう。……」(中略)
「私はお前一人と決めたよ! こういうことはこれまでには無かった! それは一人に決めたいような、私の好みに合った男が、見つけられなかったがためなのだよ、……お前は私には不思議に見える! 優しい顔や姿には似ないで厳かで清らかな心を持ってる。だから私には好ましいのだよ。私は是非ともその心を食べてかみ砕いて飲んでしまいたい!……お前は「永遠の男性」らしい。だから私は食べてやり度い! そうしてお前を変えてやり度い!」女の声の絶えた時、例の富士型の額を持った武士が、震える声でいいつづけた。
「今、若衆武士が右手をあげた。腰の辺へ持って行った。その手で帯を撫ではじめた。だがあの眼は何といったらよいのだ! 悲しみの涙をたたえていて、怒りの焔を燃やしている。……だがあの座り方は何といったらよいのだ。背後へ引こうとしていながら、同じ所から動かない。……とうとう距離は三尺許りになった。あのお方が腹ばって行かれたからだ!」
 そういう武士の後姿を、仲間の三人の美ぼうの武士達は、恐怖しながら見守った。
「すぐにあの男は悶絶するぞ。」
「さあ一緒に手を延ばそう。」「倒れないように支えて、やろう。」
――その時女の声が笑った。
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 これは、東京朝日新聞に連載されている国枝史郎の「娘煙術師」の一節である。この文章は、はたして「難渋な」まわりくどい文章でないだろうか。もっと明快な表現が出来ないものであろうか。同じ言葉を何度もしつこく繰り返す不必要な長ったらしい形容詞が到る処で使われている。文章が不自然で、生気がなく、従ってテンポがない。これはして見ると残念ながら悪文の適例である。では、次に――

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 永い用便を終って厠《かわや》を出た信長は、自然らしく話の序《ついで》に、近習等に向い
「たれか余の脇差の刻み鞘の数を云い当てて見い、云い当てた者には脇差を与える」
 と云う問題を出した。勿論受験者の中には蘭丸も居た。此の試験は大いに不公平である。試験官が問題を漏洩したとは謂《い》えぬが、受験者の一人を偏愛しての出題だと謂うことは出来る。信長ほどの大丈夫《だいじょうぶ》も同性愛に目がくらんで、時々こんなメンタルテストを試みたかと思うと、何とも云えぬ親しみを感ずる。
 近習等は我勝ちに答案を提出した。是も随分おかしな話である。まるで根拠が無しに、いくつと云うのだから当るはずも無く、当ってもマグレ中《あた》りである。占のようなもんだと謂いたいが、占だって占者に謂わせればドウして仲々大そうな根拠があるのだから、此の答案は先ず、占よりも以上に、あてずっぽうの方である。
 問う者も問う者なら、答える者も、こんにゃく問答以上の、やみくも問答に暫し市が栄えた。
 信長は快心の笑を浮かべつつ
「うむ、それから」と順々に答案を促して居たが、心の中では、この脇差を蘭丸に与うる時の自分の満足と蘭丸の喜びとを予想して、すこぶる幸福であった。
 ところが蘭丸は最後まで口をつぐんで答えようとしなかった。
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 これは同じ日の報知新聞の夕刊の矢田挿雲の「太閤記」の一節である。この文章は如何? これは、確かに解りいい文章である。然も一脈の諧謔味を湛えている。ユーモアに富んだ軽快な文章であると云える。大衆文芸の求める、よき文章の一例であろう。
 最後に、同じ報知新聞の、吉川英治の「江戸三国志」から引用しよう。

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 やっとそこらの額風呂の戸があいて、紅がら[#「がら」に傍点]いろや浅黄のれんの下に、二三足の女下駄が行儀よくそろえられ、盛塩のしたぬれ石に、和《やわ》らかい春の陽が射しかける午少し前の刻限になると、丁字風呂の裏門からすっと中に消え込む十八九の色子がある。
 曙染の小袖に、細身の大小をさし、髪はたぶさ[#「たぶさ」に傍点]に結い、前髪にはむらさきの布をかけ、更にその上へ青い藺笠《いがさ》を被って顔をつつみ、丁字屋の湯女《ゆな》たちにも羞恥《はにが》ましそうに、奥の離れ座敷に燕のように身を隠します。
 そこの小座敷には、初期の浮世絵師が日永にまかせて丹青の筆をこめたような、お国歌舞伎の図を描いた二枚折の屏風が立て廻されてあって、床には、細仕立の乾山の水墨物、香炉には冷ややかな薫烟が、糸のようにるる[#「るる」に傍点]とのぼっていました。
「おうお蝶か。きょうは来ぬかと思うていたが」
 ふと見ると、屏風の蔭に、友禅の小蒲団をかけて、枕元に、朱|羅宇《らう》のきせるを寄せ、黒八を掛けた丹前にくるまって居た男がある。
 日本左衛門です。――むっくりと起て「一風呂浴びて来るから、待っていてくれ」と、手拭をとる。
「ええ、ごゆっくり」
 お蝶はニッコとしながら、袴腰の若衆すがたで、何もかも打解けた世話女房のように、あたりの物を片づけます。
 この額風呂の庭には植込もかなり多いので、離れの一棟も母屋からは見透されません。手拭を持った日本左衛門は軽い庭下駄の音を飛び石に遠退かせて、向うに白湯気をあげている風呂場の中へかくれました。
 それを、濡れ縁の端から見送っていたお蝶は、彼の姿が隠れると、キッと眠くばりを変えて、部屋の四方を見廻しました。
(中略)
(そうだ! 今のうちに)
 彼女のひとみに、そう言うような意志のうごきが険しく見えたかと思うと、お蝶の手はすばやくそれを元の通り包み込んで自分の袖の下へ抱えようとしかけます。
 すると、不意に濡れ縁の障子が開きました。
「おやっ?……」
「あっ……」とお蝶はあわてて地袋の中へそれを戻して、何気ない顔を作ってひとみを上げますと、日本左衛門ではありません。
「こいつはいけねえ、座敷ちがいをしてしまった。へへへへへ、つい酔っているもんですから、飛んだ失礼をしてごめんなすっておくんなさい」
 無論、額風呂の客にはちがいありますまいが、作り笑いをした眼元に一癖のある町人が、ヒョコヒョコ頭を下げながらぷいと縁先から姿をかくしました。
 ですが、町人の去ったあとも、何時までもお蝶の胸は動悸が納まらないように、あの睫毛の濃い眼を見ひらいたまま、
「ああ、よかった……」
 と、暫く、胸騒ぎをおさえています。
 こうして、ある時は女のまま、ある時は若衆の男姿で、恋に寄せて、彼に近づいておりますが、もし今の挙動をあのけい眼な日本左衛門にちょっとでも見られたならば、もう彼女の運命も長くは無事で居られません。
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 非常に解り易い文章である。挿雲のそれの様にユーモアとか諧謔味は無い。だが正面から簡単明瞭に描きだすこの作者の表現には、作者独特の正統性と、加うるに柔らかな潤いをもっている。大衆文芸の文章法のよき手本の一つである。
 一般の人達が好むのは、要するに、文章の「朗らかさ」であり、「明快さ」である。大衆文芸の第一の使命が、むずかしい思想や論議を解説的に、通俗的に事件の興味によって、読者を惹きつけながら説明することがあるからには、文章は絶対的に、出来得る限り「話すように書くべし」という原則を破ってはならぬ。
 之を、芸術小説の例に取っても、菊池寛の作品が一般に持てはやされるのは、その一面に於て、明らかに彼の明快にして適確な、無駄のない文章が与《あずか》って力ありと謂わねばならない。もし、難かしい文章と明快な文章との価値比較をするような者があるとすれば、夫《それ》は全く無用なことで、馬鹿の至りであろう。何故なら、名文とは、難渋な表現、難解な形容詞を使った文章をのみ指すのでは絶対に無いからである。話すように書くことは、一見あたかも最も平易に見えるが、事実は、反対に最も困難なことであるのを、諸君は知るであろう。
 最後に、今一つ注意すべきことは、平易な文章というのは、自分の文章の特色を没却することを意味するのでは断じてない、ということである。矢田君に、文の独特の明快さがあるとすれば、吉川君にも亦彼自身の明快さがある。よき文章家には、必ず隠そうとして隠し切れないであろう特色が、自らその文章に浮び出るものである。要は明快であることだ。だが、これは一般論であって、その小説から文章だけを切り放して、内容と別個のものとして論じることは不可能なことである。以下、私は各論にはいるのであるが、そこで各種類の中に、内容と文章とを合せて詳論したいと思っているから、ここではこれ位に止めることにしよう。

  第五章 時代小説

 時代小説は、歴史小説と大衆小説に分類して考えられなければならないことは、先に一応説明を試みて置いた。
 即ち、伝記物、或は髷物、所謂現在の大衆小説と呼ばれるものは、正確なる時代的考証を全く欠き、何等厳密なる史的事実に基礎を置いて書かれてはいない。だから、歴史的にも、風俗的にも無意義であり、従って無価値である。
 処が、仮令《たとい》事件そのものは伝説上に置いても、考証学的
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