の生活のみをただ視ている生活だけでは、勿論経験は必要であるがそれ以上の、それを科学的に基礎づける智識が備わっていなくては、いい作品は生れない。
ジャック・ロンドンの諸作品、「シーウルフ」、「野性の叫び」、「ホワイト・ファング」、「バーニング・デイ・ライト」なぞも、その豊富な経験に充分な学術的研究の結果が加味されているのを見てもわかるだろう。
最後に、日本の作家のスケールの小さいことは恥じなければならない現象である。或る作家は「心境小説」に閉じこもり、或る作家は、イージーゴーイングな、それ故低級な「大衆文芸」を書くことで満足している。
外国の作家は、決してそうでない。バアナアド・ショウにしても、ウェルズにしても、ドイルにしても、皆、多種多様な小説に筆を染めている。そこで、彼らのスケールはもっとずっと壮大である。
三上於莵吉が一日に幾枚かき飛ばすとか、中里介山の「大菩薩峠」が驚くべき大作とか、そんな気の小さいことでは駄目だと思う。日本の文壇作家は、どんどんもっと雄大なスケールの通俗小説を書いてもいいと思う。
要は、小乗に安んじないで、勉強して小説のための予備智識を豊富に蓄えること
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