。大衆物が剣戟中心でありながら、剣術の知識もなく、人を斬る、又は斬られる者の瞬間の心理さえ書かないでいて、然も将来の大衆文芸を書こうと考えるなどは酔興に等しく、一寸無理な話といわねばなるまい。
 斬り合いの描写の変遷を見るのに、江戸時代の文学の、斬り合いの描写といえば、所謂、
「丁々発止、虚々実々の云々」の流儀に定っていたものであった。
 それが稍《やや》進んで、
「左の肩から袈裟懸けに斬り下げれば、血煙立てて打倒れた」
 といった文章にまで変化して来た。以下、二つ三つ例をとって見よう。
 諸君は、それらに於ける立廻りの描写を、諸君自らの眼で、私が述べる種々の点を参考にして批判研究していただきたく思う――。

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 その時、鏘然《そうぜん》と太刀音がした。
 一人の武士が頭上を狙い、もう一人の武士が胴を眼がけ、同時に葉之助へ切り込んだのを、一髪の間に身を翻《ひるが》えし、一人を例の袈裟掛で斃《たお》し、一人の太刀を受け止めたのであった。
 受けた時には切っていた。
 他流で謂う所の「燕返し」一刀流で云う時は、「金翅鳥《こんじちょう》王剣座」――そいつで切って棄てたの
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