楽本位のものもあるが、それらが何れも史実にある程度の基礎をおいているという点から来る、「事実らしさ」という面白さは日本の一般の大衆文芸には発見出来ない強味に違いない。この点から見るに、我国の大衆作家はすべて、事件の面白さ、空想的趣味を、史上の人物に結び付けることの技巧が非常に拙劣なために、この強味――「事実らしさ」――を持つことが不可能なのである。
 それは、一体何に起因するか? といえば、云うまでもなく、歴史的知識の不足より来ていると見るの他はないのである。前節の「歴史小説」ほどの厳密さは敢て強要しないが、少くとももっと史的事実を考証し、研究する必要が充分にあると信じるのである。
 その中でも、最も重要な大衆文芸の要素となっているところの、「剣術」及び、「忍術」のことさえ、本当に調べて書いている大衆文芸作家は、殆んど少いといっていい。
「剣術」の参考書は前節に挙げておいた故に再び述べないが、「忍術」の参考書として、世間に可成り充分に流布されている「正忍記」一冊さえ読んでいないらしい大衆文芸作家が転がっているのには驚くにたえる。そうでなかったら、あんな馬鹿げた忍術は書けない筈なのである
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