、文学にしても、現代物には厳しく、時代物になると非常に緩やかなのである。現代物に翻案しては絶対に駄目な、不許可なものでも、時代物としたら当然平気で通用するのである。
プロレタリア作家が、今後こうした方面へ眼を付けるなら、よい大衆を読者とし得るし、従って商品価値もできるし、一挙両得だと思う。
次のような参考書を読破したら、今日プロレタリア作家のみならず、あらゆる作家、大衆文芸作家が開拓し行くべき、又しなければならない無数の題材が、悲惨な、痛快な事実が到る処に転がっているのを見るだろう。
黒正巌氏の、「百姓一揆の研究」とか、「日本農民史」「日本奴隷史」なぞが参考書として挙げられる。
大衆文芸作家の開拓すべき豊富な資源の一つは此処にある。
処で、中途な処で読者諸君に失礼だが、私が一寸断っておきたいことは、この講座も既に半を過ぎ、残る巻数も数少く、多忙のためとは云え筆者の怠慢をお詫びしなくてはならないのであるが、計画通りの分類に依ってダラダラと述べているだけの紙数もなし、私はこの暑いのに諸君を苦しめて尻切蜻蛉にして了うような無責任なものでもない。
で、大体、肝心|要《かなめ》のこと
前へ
次へ
全135ページ中84ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング