れるようにするには、即ち通俗的に面白くするにはどんな要素を具備していたらいいだろうか、という問題にたち戻って考えよう。
 第一には、勿論、性欲――エロティシズムである。性欲を検閲の許す範囲内で充分センセーショナルに取扱う、即ち、所謂エロチックに、感覚的に描写する。その一方で哲学なり、思想なり道徳なりを説明する。これに加味するに剣戟をもってするならば、日本人の最も好むものになるだろう。俗うけ[#「俗うけ」に傍点]のする大衆文芸を書こうというのなら、その呼吸さえ心得ておけば、うけること請合いである。成程、作家の芸術的良心はそれを許さないだろう。が、職業として、商売として、作品の商品価値をのみ狙うときは、一応心得ておくこともあながち不必要ではないだろう。
 そうした意味で大衆文芸を見、今一層深く考えてみるに、この上に「泣かせる」ことを加えることが肝要だ、ということが云えるだろう。芸術的作品にしても、通俗的作品にしても、芸術的作品価値は、第二の問題として、俗うけ[#「俗うけ」に傍点]のして、よく売れたという小説をみるのに、すべて婦女子のみならず気の弱い男にも涙を催おさせた作品であるのを見るだろ
前へ 次へ
全135ページ中80ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング