う。「金色夜叉」「不如帰」時代のもの殊に然りである。それらは、特に「泣かせる」ことで成功した。だが、今では、そんな風の「泣かせ方」ではすでに旧く、人はふり向くまい。将来はやるであろうところの「涙」は、たとえ同じ「涙」にしても、明るく、ほがらかで軽快で、ユーモアに富んだものでなくてはならぬ。そうした「泣かせ方」が、今後、読書階級の翹望《ぎょうぼう》を満す喜びの泉となるだろう。
最後に、テンポの問題である。現在は、あらゆる意味で速力を要求している。電車より自動車、自動車より飛行機へと、その他科学の発達はテレビジョンの完成へまで急いでいるのだ。人間は科学に逐われて生活のテンポを速めている。それは亦、当然芸術へも影響する。芸術も亦、その内容形式ともにテンポを要求されて来ている。かの片岡鉄兵君の「生ける人形」(勿論、小説それ自身も現在に適した作品ではあるが、殊に)の新築地劇団の手になるレヴューの形式による劇化が素晴らしい人気を呼んだのもテンポと明快さの故であった。序であるが、菊池寛君の「東京行進曲」の映画化が外国映画を凌ぐ人気の中心になっているのも、その明るさ、明るい哀愁のためであると云えるだ
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