ャンチャンバラバラを中心として、その命脈を保っているのはどうしてであるか――思うに、人間には常にかかるアムビシャスな、奇怪な、グロテスクな、謀叛的な、革命的な、そして英雄的なものを要求する傾向――本能の一面があるのではなかろうか。殊に、日本の文壇小説が自然主義に禍いされ、誤った、極限された方向へ突進んでこういう要素を取除いて了った、それがために愈々昂って来たところの以上のような要素への渇望に大衆文芸が投じたのではあるまいか。
 それと、今一つ、日本人には特に、一種の伝統的な剣戟の趣味がある。この著しい例は、殊に歌舞伎劇に見られる。世界中の芝居の中で、単に人を殺すことだけで独立して劇を形造っているようなものは、歌舞伎劇をおいて他にないであろう。例えば――
「団七九郎兵衛の長町裏の殺場」とか、
「仁木弾正の刃傷場」とか、或は、
「敵討襤褸錦《かたきうちつづれのにしき》」の大詰なぞ。
 以上のようなものは二人、もしくは三人がただ斬り合って殺すだけで、他に劇を構成する何ものも見出さないのである。勿論、そこには歌舞伎劇独特の形式美と感覚はあるが、その他に、日本人が殺人、流血に特殊な興味をもってい
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