神生活のみを尊重し、物質生活を卑しいと見ることの謬見であるのを、私は既に述べた。何故なら、物質生活こそが精神生活の根底であるから、私は、物質生活と精神生活と何《どち》らが尊いかと云うのではない。物質生活の安定あって、始めて精神生活が充分に為されるのである。その物質生活は、現在どうであるか。資本主義社会の矛盾によって大衆の物質生活は益々、極端に貧困化しつつある。現在の社会は、見よ、加速度的に混乱して行くではないか。それは一方、科学の異常な進歩と、交通機関の発達によって、生活も社会も、思想も刻々に変革されて行き、往古の如く同一状態に於て、半世紀、一世紀を送る悠長さを許さなくなって来たのである。
社会はどうなるだろうか? 思想はどう結末するだろうか? 誰も今日、それに対して明快に答え得るものは無いのであろうか? 己の立っている土台が動いているのである。婦人は、封建的貞操を棄てんとしつつ、而《しか》も、それに代る道徳を見出し得ない。男子は、古き衣を脱いだが、新らしき着物を知らない。社会は、一革命を起さんとしつつも二つの勢力は対等に抵抗しあっているのである。
今や、ヨーロッパ文明は沈消して、
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