代である四世紀の羅馬《ローマ》に於ける史実を描いたものである。作者は彼の深奥なる哲学的及び文明史的なる知識を傾注して、描写の精細を極めている。例えば「地中海の海岸なるシリアの商港、大アンチオキヤ湾に臨んだセレウキヤの汚らしい、貧乏臭い町|端《はず》れ」をかく描いている。

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 ……家々は檻の様なものを乱雑に積み上げて、外側から粘土で塗りたくった丈に過ぎなかった。中には往来に面した方を、まるで汚らしいぼろ切れか蓆《むしろ》のような、古|毛氈《もうせん》で蔽っている家もあった。……半裸体の奴隷達は船の中から歩き板を伝って、梱《こうり》を担ぎ出して居た。彼等の頭はみんな半分剃り落されて、ぼう[#「ぼう」に傍点]の隙間からは苔の痕が見えた。多数の者は顔一面に黒々と、焼けた鉄で烙印が捺《お》されて居た。夫は Cave Furem を略した拉丁《ラテン》文字のCとFで、その意味は、「盗賊に注意せよ」と云うのであった。…鍛冶屋から鎚《かなづち》で鉄板を打つ耳を掻き※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》る様な音が聞え、鎔鉱炉からは赤く火影が差し、煤が渦を巻いて立昇
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