何も時代に取る必要なく、現代小説で書いても充分こと足りるし、その方がかえって楽なわけである。要するに歴史を取扱う意味が無い訳であろう。
 では、小説に於て、歴史に題材を選ぶことは、何を意味するのか。くだけて云うと何んな面白さがあるのだろうか。ということが、次に問題となって来る。つまり、題材を時代に取ることは、一方では人々の懐古的興味を湧かすと同時に、他方現代起りつつある事実で、自《おのずか》ら興味を惹かれる時、既に昔に起っている事実を持ち来って、現代のその事件に当篏《あては》めようとする所に、歴史小説の面白さがあるのだと云えよう。又は、一つの事件中の関係者に現代人と同じ心理を発見せんとする所に興味深いものがある、とも云えるだろう。即ち、歴史小説に於ては、それを適当な事件上に見出して、史家の研究の許されし範囲内に於ては史実の上に立ち、史家の研究範囲外なる人間性の発展と云う点に於て自らの独創性を発輝し、展開せしめ得るのである。だから、歴史小説を書かんとする大衆作家は、専門史家と同等の、或は以上の専門的知識、換言すると、当時の時代思潮、現在と異っている当時の地理的事実、風俗、習慣、言語、服装
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