、食いもの飲みものの細末に到るまでの考証的知識が必要となるのであって、現在の怠惰な、安佚《あんいつ》な大衆文芸家と云って悪ければ、自然主義以後の日本の各作家、と云っても悪ければ、日本伝来の文人気質、云い換えれば学究的研究を軽蔑する文学者諸氏にはとても堪え切れない努力が要求される訳である。
併し、大衆作家にして現在の大衆文芸の安価、狭隘さにあきたらないで前進せんと欲するならば、かかる歴史小説に進むより他ないのであるが、尚それ以上に、この程度の心得は、現在、並びに将来に於ける大衆作家として当然持つべきものであろうと考える。
だからと云って、史家の研究せる範囲で描くということは、学界の定説を毀《こわ》さないという意味であって、それに捉われろということでは勿論ない。歴史家は歴史の事実上に於て必ずしも絶対権威ではない。だから史家の手のとどかない範囲外に出て、その延長を自然に感じさせ得るなら、そんな風な延長は許されるべきであろう。又、一連の事件に於ける史上のある人物を芟除《せんじょ》したり、或は、事件の史的事実を毀さない限りに於て、興味的に又は事件を紛争させる点から、伝説的な、姓名のみ実在して
前へ
次へ
全135ページ中64ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
直木 三十五 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング