向は非常に稀薄なものであって、尚、個人生活が基本をなしていた点、今日の社会的生活に個人的生活が従属させられているものとは全く異るのである。
 では、現在の社会的集団生活とはどんなものか。何が基本的であるか。これこそが問題なのである。現在、人間の進歩とは、最早や思想や哲学の進歩を意味してはいない。科学的設備が如何に完備されているか、それが現在では人間の進歩と同意義をなすに到っているのを、諸君は見るだろう。科学の進歩、これこそが現在の生活の基本的なものである。今日、人間の社会的生活に於て、個人の思想感情は殆んど科学的進歩に基く、眼まぐるしい社会の変化にひきずられている。このように個人生活が全く社会生活に従属せしめられてしまっている今日、今更、十九世紀の文学によって昂奮したり、慰められたりする訳は何処にもない筈だ。
 こうした、過渡的な時代に於ける文学――小説の問題が如何なる方向に、何処に解決の途を見いだすべきであろうか。そして、それより以前に、こうした期間にはぐくまれる文芸、――新らしく勃興の機運にある小説、――読者大衆に切実に要求される小説は、何んなものでなければならないだろうか。
 さ
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