て、問題は此処まで来た。では、そうした文芸は?――当然、理智的で、且科学的なものでなくてはならない筈だ。「探偵小説」が近来興り来った所以、そして又、それが将来如何なる方向に進み行くべきだろうか、まさしくその理由は根本的に以上の点に求められなくてはならない、と思う。その上、テンポが早く、刺戟が多く、現今の個人的生活、――感情生活に触れないで、それの煩《わずら》わしさに捕われないように娯楽的なもの、そうした小説の要求が、近代科学への興味と結びつくとき、そこに「科学小説」なるものが叫ばれて来るのは当然の帰結である。そこで、だから「探偵小説」は、その方向への一つの前提として、そしてやがては愈々科学的方向へと進んでいくべきものとして、興り来り、流行したと見るのが至当であろうと思う。
我国を文学史的に観察しても、同じことが云える。日本では嘗て「科学小説」は「探偵小説」と並行して進んで来たのであった。先に、総論で挙げて置いたように、森田思軒をはじめ色々の人が「探偵小説」を翻訳した頃、既にスチブンソンの「宝島」、ベルヌの「海底二万哩」その他、「月世界旅行」なぞが盛んに読まれたものであった。鎖国のため
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