質的には何ら新らしいものを生じなかったからに他ならない。勿論、新らしい意味を含んだ、目新らしい主唱は当今、盛んに行われている。けれども、それらは要するに経済的、社会的、政治的な理論を多分に含んでいるのに過ぎないのであって、経済的、社会的、或は政治的見地から観察するときは、重大な意味をもって来るには違いなかろうが、感情的には本質的に昔と変った、全く新らしい何ものをも有しないと云っていいだろう。
 だが、成程、その点では十九世紀の文学に於ける揚合とは可成りに異ってきている。個人の生活に人間の社会生活を従属させていた十九世紀の文学、即ち、個人生活を主題としそれを説明し、解釈しようと試みた十九世紀の文学――小説と、個人生活が社会的集団生活に歪められ、そして個人生活よりも、より社会的生活を重要視している二十世紀、現在の文学――小説とは、当然異っていなければならない。勿論、十九世紀の文学にもそうした傾向は現れはじめていた。そして、由来人間の生活革命と云うことは漸次的に行われるものであって、政治変革といったもののように決して突変的ではあり得ない以上、前述のことは当然であるが、前世紀に於てはそういう傾
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