。と、その武士がうなされるようにいった。

「あのお方がズルズルとはって行かれる。若衆武士の方へはって行かれる。肩が食みだした。……ずっとそのさきに若衆武士がいる。……そう白の顔! 食いしばった口! 若衆武士は半身を縮ませている! ねらわれているちょうのようだ! ひ[#「ひ」に傍点]の長じゅばんがずれて来た。ズルズルとはって行かれる毎に、じゅばんのえりが背後へ引かれる! くび足が象牙の筒のように延びた。……左右の肩がむきだされた。象牙の玉を半分に割って、伏せたような滑らかで白い肩だ! ……焔が二片畳の上を嘗めた! あのお方の巻いていたしごきの先だ! ……だんだん距離がせばまって来た。でも五尺はあるだろう。……」(中略)
「私はお前一人と決めたよ! こういうことはこれまでには無かった! それは一人に決めたいような、私の好みに合った男が、見つけられなかったがためなのだよ、……お前は私には不思議に見える! 優しい顔や姿には似ないで厳かで清らかな心を持ってる。だから私には好ましいのだよ。私は是非ともその心を食べてかみ砕いて飲んでしまいたい!……お前は「永遠の男性」らしい。だから私は食べてやり度い! そうしてお前を変えてやり度い!」女の声の絶えた時、例の富士型の額を持った武士が、震える声でいいつづけた。
「今、若衆武士が右手をあげた。腰の辺へ持って行った。その手で帯を撫ではじめた。だがあの眼は何といったらよいのだ! 悲しみの涙をたたえていて、怒りの焔を燃やしている。……だがあの座り方は何といったらよいのだ。背後へ引こうとしていながら、同じ所から動かない。……とうとう距離は三尺許りになった。あのお方が腹ばって行かれたからだ!」
 そういう武士の後姿を、仲間の三人の美ぼうの武士達は、恐怖しながら見守った。
「すぐにあの男は悶絶するぞ。」
「さあ一緒に手を延ばそう。」「倒れないように支えて、やろう。」
――その時女の声が笑った。
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 これは、東京朝日新聞に連載されている国枝史郎の「娘煙術師」の一節である。この文章は、はたして「難渋な」まわりくどい文章でないだろうか。もっと明快な表現が出来ないものであろうか。同じ言葉を何度もしつこく繰り返す不必要な長ったらしい形容詞が到る処で使われている。文章が不自然で、生気がなく、従ってテンポがない。これはして見ると残念ながら悪文の適例である。では、次に――

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 永い用便を終って厠《かわや》を出た信長は、自然らしく話の序《ついで》に、近習等に向い
「たれか余の脇差の刻み鞘の数を云い当てて見い、云い当てた者には脇差を与える」
 と云う問題を出した。勿論受験者の中には蘭丸も居た。此の試験は大いに不公平である。試験官が問題を漏洩したとは謂《い》えぬが、受験者の一人を偏愛しての出題だと謂うことは出来る。信長ほどの大丈夫《だいじょうぶ》も同性愛に目がくらんで、時々こんなメンタルテストを試みたかと思うと、何とも云えぬ親しみを感ずる。
 近習等は我勝ちに答案を提出した。是も随分おかしな話である。まるで根拠が無しに、いくつと云うのだから当るはずも無く、当ってもマグレ中《あた》りである。占のようなもんだと謂いたいが、占だって占者に謂わせればドウして仲々大そうな根拠があるのだから、此の答案は先ず、占よりも以上に、あてずっぽうの方である。
 問う者も問う者なら、答える者も、こんにゃく問答以上の、やみくも問答に暫し市が栄えた。
 信長は快心の笑を浮かべつつ
「うむ、それから」と順々に答案を促して居たが、心の中では、この脇差を蘭丸に与うる時の自分の満足と蘭丸の喜びとを予想して、すこぶる幸福であった。
 ところが蘭丸は最後まで口をつぐんで答えようとしなかった。
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 これは同じ日の報知新聞の夕刊の矢田挿雲の「太閤記」の一節である。この文章は如何? これは、確かに解りいい文章である。然も一脈の諧謔味を湛えている。ユーモアに富んだ軽快な文章であると云える。大衆文芸の求める、よき文章の一例であろう。
 最後に、同じ報知新聞の、吉川英治の「江戸三国志」から引用しよう。

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 やっとそこらの額風呂の戸があいて、紅がら[#「がら」に傍点]いろや浅黄のれんの下に、二三足の女下駄が行儀よくそろえられ、盛塩のしたぬれ石に、和《やわ》らかい春の陽が射しかける午少し前の刻限になると、丁字風呂の裏門からすっと中に消え込む十八九の色子がある。
 曙染の小袖に、細身の大小をさし、髪はたぶさ[#「たぶさ」に傍点]に結い、前髪にはむらさきの布をかけ、更にその上へ青い藺笠《いがさ》を被って顔をつつみ、丁字屋の湯女《ゆな》たちにも羞恥《はにが》ましそうに、奥の離れ座敷に燕のよう
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