に、一つの傾向だけが雪だるまのように広がり、大きくなるのである。例えばテレビジョンの発明まで、享楽的方面にすばらしい発達を見せている。処が、享楽的科学の発達は、人口増殖とか食物問題とかとは、概して矛盾した結果を齎《もたら》す。つまり、人間的生活は人間の自然的欲望の倫理作用より科学的なる倫理作用に支配さるるに到るのである。この科学文明の歪んだ道を、正当に引き戻すためだけでも、科学小説は、今や立派な使命を持っていると、云えるのである。

  四、愛欲小説

 現在までの家庭小説は主として恋愛小説であった。殆んど凡ての文学は恋愛事件を含んでいるから、一切の文学は恋愛小説であるとも云える訳だが、特に愛欲のことを取扱った小説を大衆文芸の一部門として分けてもいいと思う。
 ただ、今後の作者が特に、恋愛を取扱う場合に注意すべきは、恋愛を科学的に考察することである。精神的恋愛、肉体的恋愛、という古くよりの二つの区別を信奉するものは、新らしき恋愛小説は書き得ないだろう。私をして云わしむるなら、恋愛は八種類に分類し得ると思う。参考のために、以下少しく、恋愛について述べよう。
 一、思春期的恋愛。この時代の恋愛は、ただ無闇な、盲目的な情熱にうかされるのであって、無批判的で、相手を選択する余裕がない。街角で出あった最初の異性が恋人である。恋愛は、本質的にかかるものではあるが、特にこの思春期に於ける恋愛は、情熱的で、無批判である。
 二、母性的恋愛。無自覚な、大多数の、日本の女性の恋愛は悉く、この種類に属するのであって、恋愛はそれ自身として独立していないのである。子供を欲しい事が、無意識的に動いて、異性を欲しがる処の恋愛である。かかる恋愛は、子供さえ出来れば、あらゆることに忍従するものである。
 三、性欲的恋愛。ある人々は恋愛で無いと云うかも知れないが、恋愛的な気持の一抹もないようなことは絶対に無いと云っていいから、恋愛の中に入れていいと思う。
 四、英雄崇拝的恋愛。必ずしも、その人を独占しようとするのではなくして、その人に、好意をもたれんことを望む。活動俳優に対するファンの気持。著名人物に交際を求める男女の恋愛心理といったものが、これに属する。
 五、社交的恋愛。殆んど之に同じもので、頗《すこぶ》る遊戯的な恋愛である。音楽会へ行く時の、競馬を見る時の、舞踏会へ行く時の相手といった、軽い携帯
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