がなく、そんな物より、製菓の方がいいと、思われるだけである。
 だが、京都の人よりも、倹約的ではない。京都の、さるお茶屋の女主人と、牛肉を食べに行ったが、その鍋の残りを
「届けとくれやすな」
 と、云ったのには、感じ入った。もう一つ、感に打たれた事は、そうして、何うしても判らなかった事は、私と、芸者と、仲居とが、大阪から、高台寺の貸席へ行った時の事である。私の、食い残しの飯を、
「勿体な」
 と、云って、その仲居が食べた。その仲居が私に惚れていた訳では無いし、私も惚れている訳でもないし、そうして櫃の中には未だ御飯が残っているのである。こうなると、宗教であり、信仰であって、理屈の外になってくる。
 私の母親が――それは、勿論、貧乏のせいであったが、残った、腐りかかった飯を、いつも、湯で洗っては、屋根の上で、陽に干していた、干飯を作るのである。雀が食ったり、乾燥しきらずに、赤くなって腐ったり、干す五分の一位の分量しか、干飯に成らなかったが、実に、根気よく小さい窓から身体を延して、飯を干していた。
 こういう考え方は、一体いいのか、悪いのか? たしかに、大阪及び、大阪近くには、この飯の尊重と、お粥の尊重とが、都会に似ずはびこって、そして又、節約のすきな人が、年々、汽車弁当の残飯が、何万石になるから、棄てるなとか、宣伝しているが、その一方米の豊作で、百姓が困り、それが為購買力が無くなって、経済界が何うとか――この矛盾は、一体、何んであろうか?
 この問題は、近代の科学的産業組織の発達に伴いえない農村の欠陥と、伴わないに拘らず、急激に膨脹した農村経済との矛盾であると、私は考えているが、こういう問題を別として、こうした倹約思想は、明治時代で、廃棄さるべきものであった。
 こうした消極的な、金を使わずに、ためて、自分の生活を安定させるという考え方は、近代の経済に於て、決して大きい富を齎《もたら》すべき方法では無い。所謂、近江商人的のやり方で、大阪の実業家のやり方では無いと、考える。
 だが、未だに「手固い」という事を、唯一の信用として大きく儲けるよりも、損をするな、と、いうモットーの下に、石橋を叩いている実業家が、可成りに大阪には多い。そして、彼等のその考え方が、何処からきているかと云えば、世界の動きを知らない所からきている。幾度も云った文化、という事を本当に考えない所からきている。少し先の経済界の動きを、見る事が出来ないで、目先ばかりを見ている所に起る。
 だが――然し、私の目的は、こんな理屈ではなく大阪を歩くのであった。いつの間にか、少し暖かくなってきて、歩くにもそう苦しくなくなってきた。そして、いつの間にか、私の、この愚文の、挿絵をかいてくれた、小出楢重君が死んでしまった。私も、明日の飛行機で、戻るのであるが、最初の旅客機墜落の見出しの中に、私の名が出るかもしれない。こんな事をかいていて、それが、本当に――だが、私は、こうした迷信に対して、一向感じないから、小出君を、明日弔ってみようとおもう。

  楢重君と九里丸君

「上方」という雑誌を寄贈してもらっているが、その二月号に、九里丸君が「チンドン屋とかいて東西屋とかかなかったのは、いけない」と云っているが、私は、九里丸君の父君が、チンドンチンドンと歩いていたとかいたので「屋」とは、書いてない筈である。その中に、私の住んでいた家の下の、長屋から、八卦見と、落語家と、東西屋との名を為した三人が生れたのは、おもしろいと書いていたが、願わくば、九里丸君よ、君と私とをも、その中へ入れて、五人男にしておいてくれたら――。安堂寺町と、野麦と、――それは丁度、私の住んでいた家の、崖の真下が、九里丸君らの家のあった所で、その長屋の悪童と、私らの悪童とは、よく、石を抛合《なげあ》ったものである。今、その旧蹟には、天理教の教会が建っている。だが、そんな昔はいい。
 九里丸君は席へ出て、上手な洒落を喋《しゃべ》っているが、小出君にも、私にも、文章にユーモラスのあるのは、諸君も、御存じにちがい無い。私の信じる所によると、これは、都会人の特色で、もう少し価値を認めてもらってもいい事だと思っている。
 ナンセンスだとか、ウイットとか、ユーモアとか、それは、決して、悪人には無い事だと、私は勝手な、非研究的な断言をしてもいい。物がよく判り、裏が見え、余裕があり、何事にも、すぐむきにならずに、四方から眺めうる人にして、初めて、それが、生れてくるのである。
 小出君にしても、九里丸君にしても、そういう意味に於て大阪のいい所を代表している都会人である(都会人と、田舎人との比較に於ては断じて、私は、都会人に加担する。田舎人は、都会人に近づかなければ、本当の物は判らない。議論があれば、いつでもしていい)。然し、大阪の人々が田舎者に押されてしまったように、こうした人々は、成るべく物を避けようとする傾向がある。厚釜しく、人を押しのける事ができないで、苦笑しながら、自ら引退る傾向をもっている。
 私は、小出君にも、九里丸君にも、私交が無いので、詳しくは云えないが、こうした人達を見る時に、初めて大阪はいい所、いい人の生れる所だな、と思う。そして商人もこういう人達と同じような態度になったなら、もっと儲かるのにと思う。乾新兵衛とか、寺田甚与茂とかという人も一つの金儲けタイプであるが、こんなにかちかちにならない方が、私は金儲けの為にいいと信じているし、大阪には多分の卑俗なユーモアがあるが、何故あれをもっとうまく利用しないかと、いつも考えている。大倉喜八郎が拙い狂句を作ったり、太閤秀吉が、とてつもない事をしたりするあの明るさが、どうして九里丸や、小出君の出た大阪の、その商人に欠けているのか? ユーモアでは、金が儲からんと考えていて、乾、寺田派に、しかめッ面をするのが多いらしいが、私の知っている範囲に於て、外国商人は実にあかるい。朗らかである。洒落と、戯談《じょうだん》と、哄笑《こうしょう》とで、商談をすすめて行く。日本の商人に限って仇敵と、取引しているように、真剣である。
 私は、大阪の洒落についてもっともっと云いたいが、それは次の機会に――本当に、私が、ぶらぶらと、大阪を歩く時に、云う事にしよう。多くの概念ばかりを、私はかいてきたが――実は、私は、もう少し、大望を起したのである。ただ、ぶらぶらと歩いて、見て、書いたって仕方がない。大阪の歴史を――私の故郷の出来事を、諸君の町に嘗ていた人の伝記を――そんな物を、書いたら、何うだろうか、と。私は、歩くだけでなく物を調べてから、歩いてみたくなってきたのである。

  大阪物語へ

 私は、宿から、近いので、よく心斎橋から、道頓堀を歩くが、そして、今まで、書いてきたようにいくらか、歩いては考えるが、戎橋《えびすばし》の本当の名は、何というのか? と、人に聞かれたら、一寸、困るだろうと、思う。
「戎橋は、戎橋や」
 と、云っても、大抵の人には、いいであろうが、この名は、俗称で、本当の名は、別にあるのである。
 千日前には、三勝半七の墓がある。然し、誰も、何処にあるのか知らないであろうし、そして、三勝と半七との、本当の事件も、多くの人は知らないであろう。私はただ、歩いて、現在の事を見、論じるだけでなく、こうした古い事も、調べて歩いてみたくなってきた。
 大阪中の隅から、隅まで――それは、その町内の人が、気にもとめないところに、おもしろい話もあろうし、其話に対する、私流の批判――神武天皇東征の時から、明治まで――こういう事は、私の得手では無いが、毎月五七日、大阪へきて、こつこつと調べ、読む事位は、私の為、大阪の為、私の故郷に対して、勉めてもいい。誰か、外にやっている人があるかも知れぬが、私がしたって、差支えないであろうし――私は、一日、歩いて、こんな望を起したのである。
 大阪の通俗的な歴史――神武天皇の昔は、少し、昔すぎるが、石山に本願寺を起す時分、即ち、史上に「大阪」の文学の現れてくる時分から、明治まで――一町内、一町内について、その町内にあった事件と人物とを書いたなら――そしてそれに現在からみた批評とかを、加えたなら、と。
 多くの保存されている旧蹟もあるが、今の内に、何んとかしておかぬと、廃絶するものもあろうし、名のみ残っていて、跡方もないものもあろうし――そうした物に対して、いくらかの注意がされ、もし、木標でも建てて、一日に一人でも読んで行く人があったなら、それでも、その人は、その町になつかしさを忘れぬであろうと――私は、こんな事を考えて、今日も少し調べたが大仕事であるだけに、きっとおもしろいと思えた。
 徒らに、考証、穿鑿《せんさく》のみをしたくないし、現在の吾々と飽くまで交渉のあるように書いて行って、そして、出来る限り、正確な調査をして、と――大阪には、木崎氏とか、南木氏とか、尊敬すべき郷土研究家が多いが、私は、飽くまで興味本位に――。
 とうとう、私は、大阪を歩かずにしまったが、四日からこそ、本当に、私は、女の同伴者がなくとも、一日中、大阪をぶらぶらするであろう。それを、私は「大阪物語」と名をつける。
 最初に、断った如く「続」というものは、大抵おもしろくないものである。「大阪物語」も、「続」は、おもしろくないが「大阪物語」の間だけは、きっと、愛読してもらえるとおもう。
 私は、これから、多くの参考書と共に、東京へ戻って、三月の下旬から、いよいよ大阪を歩き廻るつもりである。本当に、今度こそは――暖かいから、諸君、散歩の時季ですからね。



底本:「直木三十五作品集」文芸春秋
   1989(平成元)年2月15日第1刷発行
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:鈴木厚司
2007年2月15日作成
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